創業60年の老舗はしごメーカー、なぜAR事業をはじめた?

2019/12/23
創業60年のはしごメーカー・長谷川工業が今、イノベーションの只中にいる。

デザイン性の高い脚立「lucano」は、「道具」だった脚立にインテリアとしての価値をもたらし、高級セレクトショップでも販売されるヒット商品になった。

そして、2019年10月に同社が発表した新規事業は、はしごでも脚立でもない、「AR」だ。老舗メーカーは、次のイノベーションの手段になぜAR事業を選んだのか。

同社の取り組みをAR事業仕掛け人の長谷川工業・副社長の長谷川義高氏と東京都市大学・教授の葉村真樹氏の対談から紐解くことで、企業のイノベーション創出へのヒントを探る。

ヒットを生むのは、データよりも「愛情」や「センス」

──多くの日本企業がイノベーションに苦心しているなか、長谷川工業は自由な発想で斬新な商品を発表されていますね。
長谷川 長谷川工業は世界一のはしごメーカーになるというビジョンのもと、新商品の開発に積極的に取り組み、海外へもマーケットを広げていっています。「lucano」はそうした意気込みの伝わるものだったのかなと。
 すべての仕事は問題解決だと考えています。「lucano」の開発でデザインに注力したのは、その結果に過ぎません。
 脚立は既に日本の約70%の家庭で保有されています。しかし、電球、蛍光灯を換えるシーンになっても、脚立を使ってくれていない。なぜか?みんなイスを使ってしまうから。
 インテリアに馴染まない脚立は物置きにしまわれる。つまり、見た目がネックになって、物置きの荷物になってしまっていたんです。であれば、リビングに置きたいデザインの脚立を作れば、使っていただけるだろうと。
葉村 それはひと言で言うならば長谷川さんのセンスですよね。
 昨今はデザインシンキングが脚光を浴びていますが、それはセンスがある人の暗黙知を形式知化して、方法論にしたものに過ぎないんですよ。そうした方法論をなぞったものより、センスある個人のアイデアが出発点になったサービスのほうがイノベーティブなものを生み出す可能性は高い。
長谷川 今の時代はデータから戦略を考える企業も多いですが、個人的には数字に表せないものを大切にしています。例えば僕が子どもをどれほど愛しているかと聞かれても数字では表せない。そこにこそ、大事なことがあると思うんです。
葉村 どうやって「愛情」を感じてもらえるようになるのかは、数字では分からないからこそ、大事ですよね。例えば「センス」「格好よさ」のような『情緒価値』もその1つだと思います。”Let’s make green sexy.”が以前物議を醸しましたが、ビジネスにおいてもクールさやセクシーさは、特に旧態依然とした業界や商品を扱っている企業にとってすごく大切だと思います。
 このような業界でイノベーションを起こしている企業は特にこうした部分を大事にしていますよ。
 ユニクロだって元々地方で始まった洋服屋ですし、ナイキだって運動靴の卸がスタート地点ですからね。しかし、今やどちらもグローバルなブランドとしての地位を得た。
 真面目に、実直にものづくりをするという『機能価値』を高める姿勢は素敵なんだけれども、それじゃ物事は変わらないという現実はありますね。

「慣れ」はアイデアの天敵

──長谷川工業のように斬新な商品を生み出すために必要なことは?
長谷川 ひと言で表すならば、行動すること。「どうすれば商品のアイデアが浮かびますか?」と聞かれることもありますが、僕自身はデザインの勉強をしてきたわけではないですし、他の仕事と同様、世の課題を解決するためにやってるだけなんです。
葉村 行動に移すまでのハードルが越えられない方は多いですよね。なぜ、動けないんでしょうか?
長谷川 これは社員にも伝えていることなのですが、行動を起こす確率をあげるためのプロセスがあるんです。
 まず、課題解決の動機を考えること。売上を上げるため、でも何でもいいですが、行動する動機を考える。そして、それを書き出して、自分が何のために動くべきなのかを客観的に眺めます。最後はそれを周りの人に言うこと。
 小さなことですが、これだけでアクションへのハードルは下がります。
葉村 行動を起こす前の段階として、「これがおかしい」と思えることも重要ですよね。自社の商品が「なぜこうなっているのか」「なぜこの色なのか」というように、組織の中で当たり前になっていることを問い直す力が求められます。
長谷川 同じ集団の中にいると、どうしても「慣れ」は生じますよね。
 僕が転職してきてくれた社員に必ず言うのは「会社に慣れないようにしてくれ」ということです。今までやってきたことをこの会社でもやってほしいと。
 矛盾するようですが、その上で、自社の商品やサービスを一番使い込む人間になろうと言っています。
葉村 違った観点や個性を持ったまま1つの組織になる。シュンペーターはイノベーションとは「新結合」であるとも論じましたが、長谷川さんはまさにキャリア採用の人材にそれを期待して実践されているのかなと。
 一方で、自社製品を「一番使い込む人間になる」というのは、Googleでよく言われる「Eat your own dog food」っていう言葉と一緒ですね。これは「自分で作った商品について一番知っている人間になれ」という意味の言葉です。

ARで起こす、老舗メーカーの営業革命

──長谷川工業は、10月にWebAR配信サービス「MakerPark」を発表しました。はしごメーカーがAR事業を発表したことに驚きの反応があったと思うのですが、これはどのようなビジネスでしょうか?
長谷川 「MakerPark」は実物大の製品をスマートフォンのカメラ越しに表示する、AR配信サービスです。ARを使って3Dデータを再現し、大型の製品を現実空間に製品を置いて見ることができます。
葉村 非常に多くの利用シーンが想定されますよね。
長谷川 そうですね。なので開発にあたっては「誰でも簡単に使える」ことを意識しました。そのため、ダウンロードの手間を省き、誰でもアクセスできるように、アプリではなくWeb対応にしました。使い方もシンプルで、QRコードを読み込んだら、すぐ商品が出てくる仕様です。
 まずはメーカーの営業マンや流通、販売代理店に自社の商品をプレゼンする営業ツールとして利用してもらい、いずれは一般ユーザーも使えるサービスにしたいと思っています。
葉村 リリースして間もないですが、現在はどのようなユーザーが利用していますか?
長谷川 いち早く利用してくださったのはマンションに設置する宅配ボックスのメーカーですね。今は宅配ボックスがあるかどうかがマンションの入居率を左右します。ある宅配ボックスメーカーに聞いたら、年間に5,000件のマンションから引き合いがあったと。
 そこで、営業マンが何をしているかというと、現地まで出向き、設置場所の写真を撮って、会社のパソコンで商品データと重ね合わせてオーナーさんに渡しているというんです。
 それでは、多くの問い合わせに対応できないですよね。
 「MakerPark」を使ってスマホやタブレットでお客様に見せければ、一度足を運ぶだけで、すぐに利用シーンを想像していただけますし、場合によっては足を運ぶ必要すらなくなる。
葉村 営業にとっては大幅なコスト削減になりますね。
 こうしたサービスは、FAXがメールに変わったように、バリューチェーン全体のあり方を変える可能性があります。つまり、営業のあり方を根本的に変える可能性がある。そこが面白い。
 現状、ARに関するサービスはエンターテインメント分野が中心です。ソリューションを提供するものはこれまであまりなかった。
長谷川 そうですね。ARを用いたソリューションに誰も取り組んでいない、そこはチャンスだと捉えましたね。メーカーにおける物流システム、工場の生産性が向上するなか、いまだに変わっていない営業のあり方を変えていきたいと思っています。

ものを売るための「信用」を生み出す、ARのECにおける可能性

葉村 「MakerPark」のようなサービスなら、営業の現場だけでなく、例えば家具が自室のインテリアに合うかどうかをフィッティングすることもできますね。ショールーミング(※)という現象からもわかるように、現在、店舗の意義は「実物に触れられること」に置かれています。
※実店舗で商品を確かめ、オンラインショップで購入すること
 しかし、デジタル上での買い物体験がリッチになれば、店舗のあり方というのはさらに変化せざるをえなくなっていくかもしれません。
長谷川 購買体験においては信用が最重要です。実際、ECでの購買データを見ても、消費者は既に知ってる商品の購入が大半なんです。今後も確実にECは伸びていきます。そのなかで、ARは新しい商品を購入する際の信用を担保するものになると思います。
葉村 以前、引越しの時にドラム式の洗濯機買おうと思ったのですが、結構幅があるんですよね。洗面所のドアを通らないだろうと店頭で諦めたのですが、後からきちんと測ったら、実は入ったってことがわかって。
長谷川 まさに、そうした体験をなくしたいんです。
葉村 その時にこういうサービスがあればと思ったんですが、ミリ単位で精度は再現できているのしょうか?
長谷川 99%以上の精度でかなり忠実に計測できます。
葉村 すごいですね。家電量販店や家具店でのニーズも高そうです。
長谷川 そうですね。そうすることで、物流改革にもつながります。家具のように大きな商品を返品すると、買い手は手間がかかり、メーカーはトラックで引き取って物流センターへ戻す、という無駄な作業が生まれてしまう。
 ゆくゆくは、そうした無駄をサプライチェーンのあらゆる場面でなくしたいと考えています。

自社の課題から生まれるサービスだから「共感」を生む

──そもそもはしごメーカーである長谷川工業さんがどのような背景から「MakerPark」が立ち上げられたのでしょうか?
長谷川 60年以上はしごの専門メーカーをやってきた中で、ずっと解決できない問題があったんですよ。
 それは、はしご、脚立のサイズです。「電球を換えるのにどの商品が適しているか」「屋根に登るためには何mのはしごが必要なのか」。今まで、僕らはこの質問に即答できなかったんですよ。
葉村 ご自身の課題が出発点となったサービスは説得力がありますよね。自社の問題解決のために作ったプロダクトというと、例えばSuica、Tカードなどがありますよね。その有用性を開放することによって多くのユーザーに使われ、現在はインフラレベルにまでなっています。
長谷川 試作をしてみて自社が抱えている問題を解決できたので、他のメーカーも必要とするだろうという自信はありました。
 「MakerPark」を使って、初めてスマホでARのはしごを見た時の感動は今でも覚えています。この感動をやっぱり他のみんなにも体験してほしいなと、その思いがなにより強いですね。
 メーカーはお客様を豊かにする仕事なんです。「Maker Park」を通じて元気がないと言われるメーカーを盛り上げていきたいですね。
葉村 ビジネスの基本は共感です。実はまだ「ARって何?」という人は多い。来年、5G化がはじまって、さらにARが浸透したときに、その共感の輪をどれくらい広げられるか、楽しみですね。
(デザイン: 月森恭助 編集:野垣映二 構成:高橋直貴 写真:田中由起子)