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問題は、組織を助けてくれるアラート。苦労を取り戻せるチームは強くなる──向谷地生良×宇田川元一

サイボウズ式
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    埼玉大学経済経営系大学院 准教授

    べてるの家の向谷地生良さんと対談しました。

    べてるの家は僕にとっては研究上の基盤で、向谷地さんは(勝手に)師として尊敬する方のお一人です。
    向谷地さんとの対談は、向谷地さんの言葉の端々から本当に素晴らしい
    学びがいくつもあったのと同時に、私がべてるの家から何を学んだのかが浮かび上がってくるもので、かけがえのない時間になりました。

    記事中でも向谷地さんも「生きづらさの背景にある大切な「本来の自分らしい苦労」を探して引き受けることを大事にしています。」と述べられています。

    本来の自分らしさというのは、時に惨めであり、時に情けなくもあり、時に卑しくもあると思うのです。それは組織という単位で考えても、同様の現象が数多く見られると思います。

    だからこそ、そのことを大切にすることで、もっと地に足のついた意味での、よい人生を歩んだり、よい組織を作っていくことが可能になるのだと思うのです。
    なぜならば、惨めさや情けなさというのは、個々人の内面で生じるというよりも、関係的に生じるものであり、言語がそうしたものを作り出しているからです。
    だとするならば、この言語を通じて、関係性を変容させていくこと、これこそがナラティヴ・アプローチの目指すところなのです。

    実際、今、組織の問題に対しての対話の方法の開発を研究していますが、実際に対話をしてみると、人間はこれほどまでに何の問題なのかがよくわからないまま、既存の枠組みの問題の中に自分を置いて「惨めさ」を抱えているのだということが浮かび上がってきます。
    だとするならば、惨めさに向き合い、対話を重ねていくことは、もっとよい組織を作る上で重要な入り口であり、リソースになるということです。
    だから、べてるの家にも「勝手に治すなその病気」という言葉があるのですが、「病気」=「問題」を勝手に既存のナラティヴで治してしまおうとすることは、もったいないなと思ったりもするわけです。

    是非この対談をきっかけにべてるの家にご関心を持たられた方は、『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)などをお読みいただけると良いかと思います。
    私も今研究している対話の方法については、今後著作などでまとめていけたらと思っています。

    長くなりましたが、是非対談をお読みいただけたら嬉しいです。


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