【提言】プロ野球選手は「労働者」から脱却せよ

2019/12/13

「市場の選手」になるという意味

プロ野球のストーブリーグは国内フリーエージェント(FA)権を行使した選手の去就が決まり、海外に道を求める者の動向にファンの興味は移っている。
2019年のFA有資格者は90人で、FA宣言したのが6人だったのに対し、66人が行使せずに残留した(11人は引退)。
例年同様に活発な動きがないなか、最後まで注目されたのが福田秀平(ソフトバンク)だった。2006年高校生ドラフト1巡目で入団した左打者は長らくスーパーサブとして貢献し、プロ入り13年目の今季FA権を取得した。
「これでホークスの管理下ではなく、市場の選手になったね」
福田が球団にかけられたというこの言葉には、“雇用者”たちのFAに対する見方がよく表れている(Number Webの記事「プロ野球選手がFAする理由と葛藤。SB福田秀平が決断前に明かした本心。」より)。
80試合で打率.259、9本塁打、26打点という成績だった今季は推定年俸3600万円だったが、獲得に名乗りを挙げた5球団(西武、ロッテ、楽天、ヤクルト、中日)はいずれも4年総額4億円以上の条件提示したと報じられている。
好条件をオファーされた理由は、事実上「保留制度」(連載2、3回目に詳細※以下)の枠組みから一時的に外れ、市場に出たことに他ならない。
FAで獲得しようとした球団間で自由競争が行われ、福田の市場価値が高まったのだ。
【検証】「FA制度」導入の裏で何が話されていたのか?
逆に言えば、“管理”された選手たちは、適切な市場評価を受けていないケースが多くある。

議論を呼んだ「ダウン」提示の理由

中日ドラゴンズの中継ぎ投手として今季チーム4位の44試合に登板した祖父江大輔は、11月12日の契約更改で推定年俸2900万円からダウン提示を受けて保留した(※後に推定3600万円たったと判明)。
両者の齟齬について、中日の加藤宏幸球団代表はこう説明している。
「彼はここ3年ぐらいの継続的な登板数を評価して欲しいということ。(球団として)評価はするが、反映ポイントにない。それ(継続的な登板数)を評価して欲しいなら、早くFAを取ってくださいというのがこちらの主張」(スポニチアネックスの記事「中日・加藤代表 保留の祖父江とは継続的な登板数で『考え方に差』 44試合に登板もダウン提示か」より)
祖父江は入団から6年続けて毎年33試合以上に登板(平均43.8試合に登板)、今年は3.25試合に1度のペースで投げながら、望むような評価を受けられず、100万円減で契約更改した。ダルビッシュ有(カブス)がツイッターで査定基準を疑問視し、大きな話題になっている。
もちろん、球団にも言い分がある。以下、加藤代表の弁だ。
「ずっと(7年連続)BクラスなんだからAクラスの査定とは全然違う。彼は登板数で言ってくるけど、個人ではなくチーム競技なんだからチームがBクラスより上に行かないと、上がり幅も少ないし、下がるときに下がるのは仕方ない。心情的なものはあるけど、そういう査定になっているんだから」(東スポwebの記事「中日・祖父江の契約更改にダル“乱入”」より)
プロ野球選手は個人事業主でありながら、個々の査定にはチーム成績も考慮される。一般的には優勝すれば年俸アップしやすくなり、下位に沈むと上がり幅が抑えられる。
基本的にそうした査定基準で年俸を決められるなか、異なるのは、FAの資格を持つ選手たちだ。FA権を行使することで、複数年契約を結んで残留したり、球団間の競争により好待遇を勝ち取ったりすることができる。
あるいは菊池涼介(広島)のように来年海外FA権を取得するという状況なら、レバレッジをかけてポスティングを要求することも可能になる。
つまりFAとは、入団時に保留制度を受け入れた選手たちにとって、現役のうちにその枠組みから事実上外れて自身の市場価値を高める、数少ない手段なのだ。
逆に言えば保留制度の下で球団運営している側にとって、FAは“例外”なのである。
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選手に足りなかった意識

では、当事者の選手たちはどう捉えているのだろうか。
「FA権をとることは、1軍に7年間いたということですよね。個人的にはプロ野球選手としてやってこれた証だなと感じられたのが、一番大きいです」
そう話したのは、今年6月にFA権を取得した十亀剣だ。このオフにFA宣言を行い、望んでいた複数年契約で西武に残留している。
一方、福田は前述した「Number Web」の記事でこう話した。
「FAは単に好きなチームに行ける権利というだけでなく、プロ野球選手として一人前になった証でもあるのかなと思います」
選手の実感としては、十亀や福田の言う通りなのだろう。二人は取得した権利を使い、自分の望む条件を手にした。
 繰り返しになるが、しかし彼らは、あくまで“例外”だ。保留制度で管理され、祖父江と同じような基準で査定されている者が大半なのである。
「選手会は安易に考えていました」
26年前、日本ハムファイターズの球団代表としてFA制度の導入に尽力した小嶋武士は、球団経営者の立場からそう指摘する。
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「主力選手がいなくなり、例えば最下位になると、残った選手たちの年俸に全部影響するわけです。チームが弱くなると、全部の評価を下げざるを得ない。選手会はそんなことをまったく考えていなかった」
FAは「選手が自由になる権利」であると同時に、球団経営全体に大きく影響する仕組みだ。有資格者だけでなく、NPBでプレーする全員に関わってくる。
だからこそFA制度がなぜ、どのようにつくられたかを選手たちは理解する必要がある。“管理”されている者こそ、その影響を特に受けているのだから──。

なぜ「宣言」が必要だったのか?

「そんなに難しい話ではなかったんです」
1993年5月にFA制度の骨子案とともに答申書が提出されてから、同年9月に最終合意されるまでのわずか4カ月でFAの詳細はどうやって詰められたのか。小嶋に訊くと、涼しい顔で答えた。
「メジャーでは短期間(6年)で権利を取得できるでしょ? 日本は最低12年くらいから検討を始めた。8年という球団もあったけれども、12年くらいが一番多かった。最終的には10年になり、後に多少短くなりました。シーズン150日(という一軍登録日数で1年にカウントする)という骨子をつくるのは、メジャーの例を伸ばすだけだから難しい話ではなかった。
それよりFAを導入した後、どう経営に影響し、日本のプロ野球界が発展し続けるためにどういう体制をつくっていかないといけないのか。そっちを整備するほうが大事だった。その整備が完全に終わる前に、バーンと(FA導入の実質的な決定を)やられてしまった」(以下第3回参照)
【証言】「裏金時代」にできたFA制度の思惑
FA制度の及ぼす影響に対し、検討、用意ともに不十分なまま導入された顛末は、本連載で記してきた通りだ。結果として巨人戦の放映権料に依存する形から脱却できないままFA制が導入され、年俸高騰し、苦しい経営を強いられる球団が続出した。
対して、選手がFA権を得るための条件はMLBの前例を参考に、日本向けにアレンジされた。すべて球団主導で決められたなかで、FAを「宣言」するという日本独自の掟もその一つだった。
「まあ日本人の体質やろうな。義理人情じゃないの?」
当時、日本プロ野球選手会の会長を務めていた岡田彰布はそう話した。
「(球団との)話し合いで決まったんちゃうかな。アメリカみたいに広い土地やったらええよ。でも日本の国土で、当時は北海道も(球団が)ないし。そういう感じで宣言して他の球団に行くことに関しての不安のほうが、俺はあったけどな」
1993年にFA資格を手にした選手は52人いたが(引退した選手は除く)、行使したのはわずか5人。松永浩美(阪神→ダイエー)、駒田徳広(巨人→横浜)、落合博満(中日→巨人)、石嶺和彦(オリックス→阪神)が新天地を求め、槙原寛己は巨人に宣言残留した。
岡田も取得したが、権利を行使せず、阪神を自由契約となってオリックスに入団している。
管理する球団の立場から見ると、選手の流動性は低いほうが好都合だ。小嶋が説明する。
「一人の選手がFA宣言することによって(チーム全体に)待遇改善の必要性が出てくる。FAで退団されると影響が大きい選手には説得して残ってもらわないといけないので、『FA宣言するか、しないかで、待遇は違います』というのは球団として当然です。同じ基準で公平な査定を全選手にやっていたのが、そのために(宣言した選手の査定だけ)公平性から外れちゃうわけです。
FA宣言した選手に残ってもらうために(査定を)プラスアルファするので、他の選手は『残っている自分たちにはもっと上げろ』となる。そういうことに球団としてどうしていくかが必要でした」

進んだ年俸の高騰とセパ格差

球団側が予期していた通り、FA制の導入以降、平均年俸は上昇していく。1993年の1963万円から翌年は2355万円となり、1995年には2700万円まで上がった(日本プロ野球選手会HPより。以下同)。
日本プロ野球選手会より編集部作成
実は、年俸上昇の要因はFAだけではなかった。小嶋が続ける。
「当時のセ・リーグとパ・リーグを比べて何が大きいかと言うと、基本的にはテレビ放映権料の13億円。セ・リーグにはまだ年俸を上げる余裕が残されていた。対してパ・リーグは親会社の規模が大きいので、話し合って、体力競争をして13億円分(の年俸)をどんどん上げちゃおうと。そうすると(親会社の規模で劣る)セ・リーグがいずれギブアップするだろうから」
FA制が導入された1993年当時、パ・リーグ各球団の親会社は西武、日本ハム、ロッテ、近鉄、阪急、ダイエーだった。
対してセ・リーグは、読売、ヤクルト、中日、阪神、そして大洋を所有する水産会社のマルハと、広島球団のオーナーである松田家だ。
親会社の体力勝負になれば、太刀打ちできない球団がセ・リーグにある。
そうなれば球界全体のあり方を見つめ直す必要に迫られ、パ・リーグが提案していた年間試合数増、交流戦の実施、NPBによるテレビ放映権料の一括販売などに賛同する球団が出てくるかもしれない──。
しかし、小嶋やパ・リーグの見立て通りにはならなかった。
「セ・リーグは(交流戦の実施を認めないなど)わがまま放題で、年俸を上げることによってパ・リーグは経営が苦しくなった。一方、FA制を導入した後、セ・リーグの各球団とも経営的に苦しんだ。本当は12球団でそういうことまで考えて、全部が対応できる目処をしっかり立ててからFA制を導入すべきだった。僕が『時期尚早』と主張したのはそこなんです」
1996年から2年間はセ・パの平均年俸がほぼ同額だったものの、1998年にはセ・リーグが3101万円でパ・リーグの3017万円を上回る。
2004年になるとセ・リーグは4289万円に対し、パ・リーグは3322万円と大きな差がついた。
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セ・リーグの年俸を引き上げたのは、FAで次々と補強した巨人だ。1993年の2391万円から翌年は3200万円、1995年は4146万円と上昇。
球界再編騒動の起こった2004年には6394万円まで上がり、2718万円の広島、3272万円のヤクルトと大きな格差が生まれている。
各球団の経営基盤がしっかりしないままFA制を導入すると、豊富な資金のある球団に選手が集まり、戦力バランスが崩れていく。そうなったとき、直接悪影響を受けるのは下位球団の選手たちだ。
チームが勝てなければ、基本的に選手の年俸アップ幅は抑えられるように査定基準はできている。
こうした球団側の理屈を理解しないまま、選手たちはFAという権利をただ望んだ。条件面の交渉をほとんどせず、球団側に一方的に決められた結果、当初「すべての選手にFAの適用を求める」と望んでいたにもかかわらず、限られた選手しか使えない制度になった。
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現在は高卒8年、大卒・社会人は7年の一軍登録日数(海外FAはいずれも9年)と若干の緩和をされたものの、権利がほとんど行使されていないのは26年経った今も変わらない。そして祖父江のように、働きを正当に評価されていないと感じながら、契約を渋々更新する選手が毎年のように出ている。
こうした背景には、26年前、球団有利に設計されたFA制度を受け入れた影響が確実にあるのだ。
「我々の頃、選手たちは『商品でいい』と考えていました。でも、『物を言う商品だ』という意識が足りないと思います」
巨人で7年間プレーし、FA制導入時に日本プロ野球選手会の事務局長を務めた大竹憲治は、選手たちが意識を変えなければならないと指摘する。
「日本的と言うか、謙譲の美徳が、自分たちの待遇改善や地位向上に足かせになっているのかもしれません。でもプロ野球は20年も30年もやれる職業ではないわけです。球団に睨まれたらコーチなどセカンドキャリアが難しくなることが足かせになっている気がしますけど、もっと自己主張すべきだと思います」

労働者ではなく個人事業主として

球団代表、オーナー代行として経営を行ってきた小嶋は、選手たちは“労働者”に甘んじず、“個人事業主”としての意識改革が必要だと主張する。
「選手たちは技術と能力を最大限に発揮し、それによって観客がお金を払ってくれるわけです。テレビを見て、プロ野球の価値を高めている人たちが払ってくれる。その人たちへのサービスは球団がやるのではなく、選手たちがやる。ファイターズではそういう教育をしてきました。
そういう観点を持てば、自分の価値がどれくらいあるのか、自分でわかるようになる。どこの球団の選手がいくらもらっているかではなく、ファンとの関係の中で自分にどれだけ価値があるか、自分で判断できるようにならないといけない。そのためにはファームから入ってくる収入がいくらあるかを選手会もしっかり頭に置いて、そのうち自分たちに相当分があっても然るべきという主張をできてもいいわけです」
2017年秋、24歳以下のプロ野球選手を中心に選ばれた侍ジャパンが宮崎県のSOKKENスタジアムで合宿中、あまりにもショッキングな光景を目にした。
球場入り口のすぐ外にある導線の向こうで100人以上のファンがサインを求めるなか、見て見ぬ振りをする者や、ダッシュで逆サイドに走って逃げる選手が少なからずいたのだ(日本ハムとソフトバンクの全選手は快くファンサービスに応じていた)。
翌年秋に開催された日米野球では、メジャーリーガーたちが球場で時間を見つけてサインや写真撮影に応じていた一方、日本代表で同じようにしていたのは山﨑康晃(DeNA)のみだった。
社会の中でプロ野球という世界がどのように成り立っているのか、選手たちはあまりにも無知だと感じる。ただグラウンドでプレーしていれば給料をもらえるという時代は、昭和の頃にとっくに終わった。
令和の現在、プロ野球選手の置かれた立場は大きく変わりつつある。
かつて入団5年以内に解雇される例は珍しかったが、今や高卒でも2、3年で戦力外になるケースが出てきた。球団が「育成枠」をうまく使う一方、当該選手たちは不利な雇用に置かれているのが現実だ。選手会として70人枠の撤廃を求めてもいいのではないだろうか。
令和になって変わるものがあれば、変わらないものもある。
「プロアマの壁」がそびえる影響が強く、プロ野球はどのように成り立っている業界なのか、アマチュア選手に説明される機会は限りなく少ない。
学生野球で「お金」の話をするのはタブーとされてきたためか、知識や選択肢が足りず、プロになって不利な契約を結ばされる例も少なくない。現在のプロ野球では、代理人がほとんど有効活用されていないのが実情だ。
保留制度を適用されるプロ野球選手にとって、FAは、唯一と言っていい「自由になる」手段である。
制度導入から今日まで、その権利が有効的に活用されていない。同時に、権利を手にしていない選手たちも大きな影響を受けている。その事実を、選手会全員で改めて見つめ直したほうがいいのではないだろうか。
以前より早い年数で戦力外通告を受けるようになってきた現状を踏まえると、FAの取得期間を短くするように交渉すべきだ。
毎年のように人的補償は多くの者を苦しめている。
一流や超一流になれる者が限られている世界であるなら、もっと報われやすくすべきだ。プロ野球選手が“労働者”であれ、“個人事業主”であれ、素晴らしい働きをした者はふさわしい対価を受け取れるのが資本主義の利点のはずである。そうした構造をつくり上げることは、現状では二流、三流である者や、これから足を踏み入れようとしているアマチュア選手たちにとって大きな意味がある。
不自由なフリーエージェント──。
その現実を変えられるのは、当事者の選手たちに他ならない。(敬称略)
(執筆:中島大輔、編集:黒田俊、バナーデザイン:松嶋こよみ)