経営者に必要なナラティヴの溝へ橋をかける対話力──同じ出来事に別の物語を読む「脱構築」と「教養」とは
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ミニット・アジア・パシフィック代表の迫さんとの対談第3段です。
実はこの回が一番盛り上がっています。今まで色々な方々と対談をしてきましたが、このパートが最高なものの一つでした。
今回は、「プロ経営者」にとって求められる対話力について、様々な角度から考えていきます。
私は『他者と働く』の中で、対話のプロセスを「準備ー観察ー解釈ー介入」の4つの段階があると書きました。
でも難しいのが、「準備」そして「観察」です。
自分から見えている景色、生きている世界は、知らないうちに埋め込まれているナラティヴ(解釈の枠組み)が作り出していますが、それとは違うナラティヴがあることを受け入れていくことがここでは求められるからです。
迫さんのミスターミニットの再生においては、ここが鍵だったと『リーダーの現場力』では書かれています。
しかし、それはどうしてできたのでしょうか。
そこでふと思い出したのは、たまたまそんなに興味がなかったけれど、テレビでやっていたバイロイト音楽祭のワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』を観た経験でした。
「は?」と思われると思いますが、是非本文をご覧いただければと思います。それまで僕は特にオペラに興味はありませんでした。
ここで経験した面白さのことを、後に「脱構築deconstruction」という概念で呼ぶことを知りましたが、同じ物語の中に、異なる物語を読む面白さを感じました。
ナラティヴ・セラピーの開祖、マイケル・ホワイトも『ナラティヴ・セラピー・クラシックス』という論文集の中で、「脱構築とセラピー」という論文を書いていますが、ナラティヴ・セラピーとは、同じ人の人生の中に、対話を通じて、新たな、そして、より希望を持てる物語を発掘し、形にしていく作業なのだということを学びました。
そして、これは「プロ経営者」である迫さんがミスターミニットの再生に取り組む中でも、不可欠なものだったと言うのです。
え?ファンドから派遣された経営者でしょ?もっとドライにビシバシ改革していくのが普通じゃないの?と思われる方も多いと思いますが、実は全然違うのだと。
そして、対話ができなければ良い経営者ではないのだと、迫さんは語ります。それはどうしてなのでしょうか。ぜひご一読ください。