認知症の高齢者にまで「予防」を押しつける政府への疑念 - 医療・介護 大転換
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注目のコメント
介護福祉の専門職としては認知症状態になった方々が、“周囲の偏見を少しずつ変えていきながら”共に自分らしく生きられる暮らしを支援していくことを命題としています。
しかしながら、一生活者の自分としては両親や家族、自分が認知症状態でない今が日常生活であり、90歳の祖母が自立した生活を送っていることに安堵と感謝の念を抱きます。現場でお会いする方々のような状態の祖母が帰宅したら待っていると想像すると自分の日常生活への影響をイメージせずにはいられません、、
こうしたアンビバレントな葛藤を抱くことはごく自然なことでそれを否定してはいけないと私は思います。
国としてはこのようなセンシティブな内容に対して、また差し迫る社会保障財政などとのバランスを図りながら施策を進めていくことは超難題だと思います。“周囲の偏見を少しずつ変えていく=共生”具体的かつインパクトのある施策も明確に示していかなければ、バランスが崩れて優生思想のように排除の理論に傾いてしまう。という内容と解釈しました。つまり確かに、共生の具体策が乏しいということです。予防、自体はいいこと。出来るだけやるのがいい。
一方、この記事にあるように「予防」一辺倒で思考停止もよくない。いま、医療や介護が「予防」ブームなのは、社会保険には手が出せないし、民間ビジネスにもなるし、という経産官僚の思惑と、社会保障費抑制の秘策がなく、努力姿勢を見せながら、自業自得感を出したい厚労官僚との利害が一致した結果とも見れる。予防は明るいし。
もっぱら「生産性」や「自己責任」の底流に流されないようにしたい。浅川さんの「予防」と「共生」についての記事です。
現時点で言えば「予防」の実効はかなり不確かですが、「共生」は不可欠の要素。予防ばかりが強調されると予防できなかった人は「排除」ということにもなりかねない。ということですね。