ヘルステック企業が3年で37億円の資金調達。なぜ、調剤薬局なのか? 

2019/11/1
少子高齢化が進行し医療費が膨張する中、医療業界は新たな価値が求められる転換期を迎えている。新興企業の参入障壁が高い典型的なレガシー産業の中、創業わずか3年で急速にシェアを拡大しているのが、調剤薬局向けソリューションを手がける株式会社カケハシだ。
10月31日には26億円の大型資金調達を発表、累計調達額は37億円となる注目の医療スタートアップである。同社の代表取締役CEO中尾豊氏に、急成長の背景と薬局業界の現状について聞いた。

薬剤師は薬を渡すだけの存在ではない

── カケハシが事業領域とする調剤薬局は、病院で処方された薬を受け取るだけの場所と考える人が大半だと思います。そこにどんな価値をプラスする余地があるのでしょうか。
中尾 患者さんは病院で処方せんを受け取ると、必ず薬局を訪れます。薬剤師が患者に薬を渡す回数は年間8億回に達しますが、残念ながらこのときの会話に価値を見いだす人はきわめて少ない。「いいから早く薬をくれ」と思っている人がほとんどでしょう。
 しかし本来、薬剤師は薬を渡すだけの存在ではありません。2006年からは薬学部が6年制となり、医師と同様の長い期間、大学で学んでいます。
 患者に対して価値あるアドバイスができるだけの豊富な知識を持っているにもかかわらず、それを生かせていないうえ、患者側も薬剤師に薬をもらう以上の期待をしていない。高いポテンシャルを持つ薬剤師が、その価値を生かせない残念な状況が続いてきたわけです。
武田薬品工業でMRとして活動。より良い日本の医療の未来を形作っていくことを目指し、2016年に株式会社カケハシを創業。翌年夏に調剤薬局向け服薬指導支援システム「Musubi」のサービスをスタート。「日本の医療体験を、しなやかに」をミッションに掲げ、医療業界が抱える課題の解決を目指す。
 ここに新しい価値をプラスできれば、患者さんの医療体験は大幅に向上し、正しい服薬や生活習慣を身につけ健康増進にもつながります。そこで「Musubi」という調剤薬局向け服薬指導支援システムを開発しました。
── 「Musubi」は全国の調剤薬局で急速に普及しています。いったい何ができるのでしょうか。
 年齢や性別、疾病、飲んでいる薬、生活習慣といった患者さん個人の情報に加え、季節など外部環境の情報をもとに、最適な服薬指導と生活アドバイスの内容を提案できるサービスです。
 患者さんは意外と自分が飲んでいる薬のことを知りません。医師が処方した薬だから安心と思い込んでいても、ほかの病院で処方された薬についてその医師に知らせていなければ、良くない組み合わせになっていることもある。
 苦手な薬を飲むのに苦労している患者さんや、飲み忘れが多い患者さんにも、本当はもっとラクに飲める薬や飲み忘れにくい処方がある場合もあります。
 薬剤師は薬を手渡すときに、健康や薬に対する困りごとを改善できるアドバイスや、より効果の高い薬の飲み方を、「Musubi」の画面を見せながらアドバイスすることができます。
 こうしたコミュニケーションを通して、医師には言えなかった症状や困りごとを聞き取ることができれば、薬剤師は医師に対して薬を変えたり減らすことを提案したり、処方の間違いがあれば正してもらうことができます。
 薬に直接関連がなくても、症状を和らげるような食事や生活習慣についても提案が可能です。薬剤師がこうした機能を持つことを多くの人は知らないのですが、もっと深くコミュニケーションすれば患者さんの生活の質を向上させられる存在なのです。

薬を出すだけの調剤薬局は生き残れない

── 調剤薬局は患者さんにとって、もっと役立つ存在になり得るのですね。このサービスは薬局や薬剤師にもメリットはあるのでしょうか。
 「患者さんとのコミュニケーションを充実させたいが、話すきっかけやネタに困る」という問題は、現場の薬剤師を悩ませてきました。「Musubi」はこうした問題を解決できることで、大きな支持をいただいています。
 また、薬剤師は患者さんとの会話を思い出しながら処方の内容や患者さんの状態、服薬指導の内容を薬歴として記録しなければならず、私たちの見えないところで膨大な事務作業に追われています。
 「Musubi」は服薬指導中に自動で下書きが作成されるので、薬剤師は必要に応じて補足したり修正する程度で済みます。導入していただいた薬局からは、3カ月で薬剤師の事務作業を60%軽減できたという報告もあります。
── そもそも、なぜそこまでして服薬指導を充実させる必要があるのでしょうか。
 調剤薬局は今、大きな転換期にあり、業務と経営の効率化が喫緊の課題となっています。
 厚生労働省は薬剤師による調剤作業に対する報酬である「調剤料」の見直しとともに、きめ細かな服薬指導や在宅医療への対応など、より患者に密着したサービスやコミュニケーションを提供できる薬局への転換を強く促しています。
 これは、単に薬を調剤して渡すだけの薬局は、生き残れなくなる可能性を示しています。
 調剤薬局は現在約6万もの店舗があり、コンビニエンスストアの数をも上回っています。コンビニは大手チェーンがほとんどであるのに対し、調剤薬局で大手チェーンの占める割合は半分に満たず、小規模な事業者が過半数を占める業界です。
 こうした薬局が患者さんとのコミュニケーションを充実させようとしても、リソースが十分ではありません。しかも、服薬指導を充実させるほど、薬歴を記録する作業も大変になり、ますます手が回らなくなっていく。
 こうした現状では、薬剤師が付加価値の高い仕事をしようとしても、現実として難しいのです。
 「Musubi」はこうした業界の課題も解決できるサービスです。作業と経営を効率化しながら、薬剤師はより付加価値の高い仕事に注力することができるのです。

患者、薬局、事業者が利益を得る「三方良し」のビジネスモデル

── 「Musubi」のアイデアはどこから生まれたのですか。創業の経緯についても教えてください。
 私は新卒で武田薬品工業に入社し、MRとして医療が抱える問題を解決したいと努めてきました。取引先である病院からも評価をいただき、裁量も与えられ、福利厚生も恵まれた最高に居心地のいい会社でした。報酬も十分すぎる額を受け取っていました。
 でも、自分がこうした待遇にふさわしいパフォーマンスを出しているかを振り返ったとき、そうとは思えませんでした。患者さんに価値をもたらしたり、社会の課題解決につながっているわけではないのに、たまたま数字だけの成果で恵まれた生活ができていたのです。
 実力以上の生活ができる環境に慣れてしまうことは、将来の自分にとってリスクが高いと考えるようになりました。どんな環境でも通用するスキルを磨くには、社会課題を解決するためのチャレンジしかないと考え、独立しました。
 周知のとおり、日本は少子高齢化で健康に不安を抱えるお年寄りが大勢いる一方で、医療費は膨張し、現役世代の社会保険料負担も限界に近づいています。
 生産性を高めなければいけない若い世代も、ひとたび病院にかかれば何時間も待たされて、状況はますます悪化する。
 患者さんの医療体験を改善し、課題解決につなげるアプローチはいくつもありますが、薬は患者さんが毎日つきあうもっとも身近な医療です。
 実は、私は母が薬剤師で祖父が医師という環境で育ち、母が「この薬は不要では?」「この患者さんにあの薬は負担が大きい」などと意見しながら最適な処方を組み立てていく姿を見てきました。
 薬剤師が持つ価値を目にして育った自分だからこそ、自分のホームグラウンドであった調剤薬局での体験を変えていくことにフォーカスすることにしました。
── 創業からわずか3年で37億円もの資金調達に成功しています。成長可能性としてどういった点が評価されているのでしょうか。
 医療という領域は、IT企業によるアプローチが非常に難しい分野とされてきました。
 まず公的な健康保険制度が確立しているので、患者さんからマネタイズするのが難しい。かといって、病院をターゲットにしようとすると、電子カルテやレセプト管理などの分野ですでに激しい企業間競争が展開されています。
 しかも、個人経営のクリニックが多いのでスケール化は容易ではないという現状があります。
 一方で薬剤師に対し、患者さんとのコミュニケーションを支援するツールには競合がいません。しかも、調剤薬局は法人化して複数店舗を構えるケースが多く、30~50店舗ほどを持つ法人も多くあります。
 1契約あたりの効果が高いうえ、前述した通り業界自体が変革を求められる時期に来ており、ニーズが完全に一致します。
 ビジネスではステークホルダーの利害が一致するケースは多くはありませんが、「Musubi」のビジネスモデルは患者さん、調剤薬局、そして当社の三者すべてが利益を得られる。
 効率的なマネタイズが難しかったヘルステックで手付かずといえる市場であり、大きな成長を見込める事業として評価をいただいています。

高齢者も現役世代も支える新しい医療インフラへ

── マーケット規模はどのくらいあるのでしょうか。
 調剤薬局とドラッグストアの市場規模は7兆円ほどといわれています。マーケット自体は成熟していますが、患者さんの中心を占める高齢者の絶対数は当面減ることはなく、10兆円までの成長余地があるとする試算もあります。
 その一方、調剤報酬の減額などで個別の薬局を取り巻く経営環境は厳しく、効率化支援と新たな収益源となる服薬指導支援に対するニーズは、今後より高まると考えられます。
── カケハシが最終的に目指している価値ある医療というのは、どんな姿ですか。
 患者さんの医療体験を改善するには、情報連携が不可欠です。どの薬局に行っても過去の処方や体調の推移、過去の指導内容がわかれば、患者さんは常に最適なアドバイスが受けられ、最小限の薬で済み、お薬手帳を持ち歩く必要もなくなります。
 まずは当社の認知を上げ、「Musubi」のネットワークを拡大していくことに全力を尽くします。
 しかし、それだけでは足りません。本当の課題は、薬局の外にあるからです。「薬を飲み忘れたけれど、どうしたらいいか」「子どもが服薬直後に吐いてしまった」など、患者さんが薬のことで困ったり迷う場面は薬局の外のほうが多い。
 患者さんがどこにいるかにかかわらず、必要な時に適切なアドバイスを得られるしくみへと当社のサービスを広げていくことが目標です。
 また、超高齢社会を支えているのは私たち現役世代であり、忙しい人こそ健康を維持し元気で働ける環境が必要です。通院で1日つぶれるような非効率な医療体制を変えていく仕組みにもチャレンジしていきたいという思いがあります。
 いずれも「Musubi」の延長線になるのか、新しいサービスを構築するかは検証を重ねていくことになりますが、患者さんが安心して薬とつきあい、健康になる医療インフラの構築を目指します。
(構成:森田悦子 編集:奈良岡崇子 写真:大畑陽子 デザイン:月森恭助)