想い出はいつもキレイだけど、脳と記憶には何が起きている?
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ベルクソンの記憶の捉え方は、今のデータ中心的発想を変える起爆剤になるんではないかなぁと思ってます。
今ほど脳科学が進展していなかった時代のベルクソンの著書「物質と記憶」は、記憶は客観的なデータではなく、想起する度にニューロンのつながり方のパターンであって、融通無碍で主観的であると言ってくれている。
何せ言葉も経験された有限の現象に対応するだけのもので、明日もこの現象はこの言葉で有り続けるという信念が先で、言葉が初めから与えられている訳では無いのだから、限られた経験を再現するニューロンのつながりがシミュレートしていることに。
となるとオントロジーのような定義構造はとても脆弱で、データという何か基礎となるミニマムな粒度をダイナミックに結び付けられる記憶構造が、人の記憶を再現することになるのでは。スタティックなRDBでも無く、オブジェクトといった基礎だか分からないものを結び付けるODBでも無いことに。
現段階ではニューラルネットワークが最も記憶構造に近いように思えますが、データストアは別に保持せざる得ないですよね。ここが無駄なように思えて、大量のデータを別途集めた後で独立して利用しようとすることに何か致命的な間違いを直観されます。つまりデータを貯めることと記憶を想起するプロセスを分けてしまってはいけないのではないか。
都合の良い記憶って、生命が生きていく上でも絶滅していく理由としても、どちらにも捉えられますね。「なんで、想い出はみな美しいのだろう」
つまりは"生存本能"。そうやってつらいことをちょっと忘れたりいいことに化粧をしたりして、命を延ばして生き永らえるのが合理的だったからそうしてきたのだと。
でもそんなにたくさん美しい想い出あったかな…。