【前野隆司】「モンスター部下」という分類が論外

2019/10/12
今回のテーマは、「モンスター部下にどう向き合うか?」。慶應義塾大学大学院教授の前野隆司氏、健康社会学者の河合薫氏、圓窓代表の澤円氏、ラッシュジャパン人事部の安田雅彦氏、産業医の大室正志氏、計5名をゲストに迎えモンスター部下問題について議論を交わした。
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番組の最後に、古坂大魔王が最も優れていた発言として選ぶ「King of Comment」は、前野氏の「全ての人は良い人になりたい」に決定。
議論の始めに、「モンスター部下」と称して分断を生むこと自体を非難した前野氏は、この問題についてどのように考えているのか。

「モンスター」ではなく「反抗期」

前野氏は「モンスター部下」という名付けについてこう語る。
前野 そういった名前をつけない限りは問題が明確にならないという点では、名前をつけることは決して悪いことだとは思いません。
でも、「モンスター部下」という言葉自体は、そもそも人間扱いしていない。
理解できないもの、というレッテルを貼り付けている時点で分断が生まれてしまっている。
幸せな職場を作るために「対話をすることが必要だ」という話は何度か出てきました。
でも、会社を守るための対話ではなく、その人が家族の一員であるかのように大切な存在だと思って対話をしようとするなら、「モンスター」なんて言葉が出てこないでしょう。
たとえば、手に負えなくなってしまった反抗期息子、というような呼び方だったらまた違います。
自我が芽生えてきて新しい価値観になってきた人たち、という考え方です。
モンスター=駆逐しないといけないというイメージを想起させますが、まるで西洋のヒーローものみたいに正義の味方と悪者、みたいな考え方ですよね。

モンスターという発想自体が古い

番組内でも、モンスター部下の出現に対しては、時代の変化によって若手社員が「武器」をいくつも身につけてきたことが挙げられていた。
知識を身につけて、既存の価値観に対して反抗の精神を見せる社員を「理解不能」としてモンスター扱いすることは早計かもしれない。
前野 家畜だと思っていたものが手に負えないモンスターになってしまった、という考え方それ自体が従来の価値観の延長線上にあるわけですよね。
時代は変化しつつあるのに、古い考えに囚われた人は「子供は従順な存在であるべき」と思い込んでいる。
番組内でも、論客の人たちを悪く言うつもりはないのですが、やはり言葉の端々にそういった価値観がにじみ出ていた。
言うことを聞かないなら辞めさせるべきだ、のように。
前野氏は、「社員が従順であるべき」という前提から疑うべきだ、という。
前野 「彼らを「ペット部下」だと思っているから、モンスター部下という表現になってしまうわけです。
まずは部下に対してリスペクトをもてているか自問した方がいいでしょう。
年齢に関係なく、相手の真摯な部分を尊敬できれば、そんな言葉は出てこない。
そして、上司が部下をリスペクトしていないことは相手にだって当然伝わります。
トイレにこもってしまったり、適正な評価をされていないという部下がいたとして、それは決して部下だけの問題ではない。
そういうストレスを与えたり、そうならざるをえない状況が生まれていることが問題なんです。
前野氏は分断を作ることをやめて「対話をすべき」というが、では部下に対して建設的な対話をするためには、どのような姿勢や考え方で臨むべきだろうか。
前野 やはり、誰しも素晴らしい部分をもっていて、同時に誰しも未熟な部分をもっている、ということを認めるべきです。
未熟なところを見つけたら、それをバカにするように指摘するのではなく、伸びしろと捉えて上司である自分が共に育とうではないか、と思えるようになれば随分と変わるのではないでしょうか。
お父さんやお母さんは、自分の子供をモンスター息子だと言ってすぐに勘当したりしないですよね。
幸せな会社って、社員のことを家族だと思っているのです。
古臭い家族主義だと言われるかもしれませんが、日本は昔からそうやって組織を作り続けていたんです。

全員が時代の犠牲者

家族のように接することは確かに愛情となって伝わるかもしれないが、最もモンスター部下の反抗を受けやすいのは中間管理職の立場である。
親ほどのコントロール力もない彼らにそこまでの愛情を求めることは難儀ではないか。
前野 もちろん彼らも板挟みになっている犠牲者ですし、配慮は必要です。
要は社会が会社という家族っぽくない組織を作ってしまったのが大元の原因です。
それは戦後の高度経済成長期には合理的でうまくいっていたが、この低成長時代にその形態をとっていること自体が時代遅れなんですよね。
単なる軍隊組織というのは無理で、軍隊でも家族っぽくないと難しくなってしまったということです。
中間管理職もモンスターと呼ばれている若手も経営者も、みんな時代の犠牲者なんです。
だから、全員「自分が正しいはず」とは思わずに、時代に適合していかないといけない。
モンスター部下なんて呼んで分断を生んでいる場合ではなくて、若手に対しては「新しい考え方の人々」、中間管理職の人々は「板挟みの人々」、それより上は「残念ながら古い教育を受けてしまった人々」。
それを認めた上で全員で古い考え方のハラスメントはやめよう。
モンスターと呼ばれる人たちも反逆ばかりするのはやめて相手の頑張りをまずは認めよう、そういう歩み寄りが大切です。
中間管理職の人たちだって、大変かもしれないけど、間違ったことに対して声は出せるはずですよね。
そうやって団結をしていく中で、これからの時代に合った新しいマネジメントの仕方が生まれるかもしれない。
前野氏は、番組内で取り上げられていた著名人の「会社なんてバカだ」といった発言に影響を受ける若者の話題についても、まず「バカだ」と発言してしまう人の心の痛みに気づくべきだという。
徹底的に相手の痛みに寄り添うことが、心の問題を考える上で大切です。
威張ったり怒ったりすることって、突き詰めると心の痛みから出ていることなんですよね。
強く出るのは、心が弱いからなんです。トイレにこもっちゃう若者だって、こもっちゃうだけのストレスがあるわけです。
それを「ダメなやつ」と一蹴してしまっては、何も解決しない。
だからね、NewsPicksも対立を煽りないほうがいいと思います。
双方に痛みがあることを認めて歩み寄れるといいですよね。
それを、社会的に弱い立場にある若者に対して「モンスター」として敵にしようとするって、ちょっと大人として残念な態度ではないですか?

10月15日は「東大至上主義は正しいのか?」

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<執筆:富田七、編集:佐々木健吾、デザイン:斉藤我空>