イノベーションを推進するプロセスとは?

2019/9/20
 企業はいかにしてイノベーションを生み出し続け、顧客に課題解決の手法を提供することができるのか。

 10月に東京で開催される「Hitachi Social Innovation Forum 2019 TOKYO」での特別講演を前に、ニューヨーク大学でイノベーション戦略を専門とするメリッサ・シリング教授が、日立の社会イノベーション協創統括本部長で、データ分析、AI(人工知能)分野の研究者であるウメッシュワー・ダヤル氏との対談を実施。

 イノベーション創出のための「協創」の意義や、企業が革新を起こし続ける方法を探る(全2回・前編)。

イノベーションは素晴らしいアウトプットへのプロセス

シリング:ニューヨーク大学で経営学の教授をしている、メリッサ・シリングです。イノベーション戦略を専門としており、優れたイノベーション事例の分析を通して、イノベーションが起こる仕組みや、革新的なアイディアを生みやすい企業体制、企業文化などを研究しています。
 最近では、イーロン・マスク氏、故スティーブ・ジョブズ氏など、革新的なイノベーターたちの軌跡を研究してきました。彼らはなぜ、社会に大きな変革をもたらすイノベーションを、何度も繰り返し起こせるのか。それを定性的なアプローチで分析しています。
 彼らが共通して持つ要素を抽出することで、企業や個人が革新的なアイディアを生み出し続けるためにはどうしたら良いのか、糸口を掴めるのです。
ダヤル:日立の研究開発部門の3つの柱の1つである、社会イノベーション協創統括本部(CSI)長を務める、ウメッシュワー・ダヤルです。情報マネジメント、特に大規模データベースとデータマイニングの研究に、約35年間携わってきました。
 現在は、日本・北米・欧州・APAC・中国での協創を推進するとともに、ビッグデータ解析やAI技術、またそれらを応用した顧客とのオープンイノベーション事業に従事しています。
 日立の研究開発の変遷について、まず少しお話しさせてください。元々私たちも他の企業と同様、いわゆる伝統的な技術開発の手法をとっていました。優秀な人財を雇って、彼らが考案する新技術をいかに製品化して市場投入するか考える、というものですね。
 しかし日立のミッションは、イノベーションを通して社会課題を解決していくこと。そのためには、業界、そしてお客様はどのような課題を抱えているのか、という点から考え始めるべきだと気付きました。開発の発想そのものを変えていく必要があったのです。
 そこで、テクノロジーイノベーション統括本部(CTI)、基礎研究センタ(CER)とともに、CSIが設立されました。CSIでは、研究者が直接お客様と向き合い、お客様が抱える課題を共有し、お客様と共にその課題解決に向けて取り組む「協創」を日々行っています。
提供:日立製作所
 日立は今年5月に新中期経営計画を発表し、社会イノベーション事業を通じてお客様の「社会価値」「環境価値」「経済価値」の3つの価値向上に貢献することをお約束しました。
 まず「社会価値」としてはモビリティ、ヘルスケア、製造プロセスの効率化など、さまざまな領域の社会課題を解決すること。次に「環境価値」は美しい自然を守りながら企業としての活動を行うこと、そして「経済価値」はお客様と当社双方に利益をもたらすことです。
シリング:日立が社会課題の解決に焦点を置き、顧客に向き合っていることは素晴らしいですね。少し教科書的な話をすると、Science pushとDemand pullという考え方があります。Science pushは、企業目線でどうすればより良い製品・サービスが提供できるかという考え方ですが、Demand pullにおいてはそもそも顧客が何を望んでいるかを出発点にしています。
 Science pushは技術者が理想とする技術を生み出せるという点では有用です。しかし、それでは技術が開発されても使う先がないという事態が生まれかねない。その点で、テクノロジー企業がDemand pullの考え方を持ち合わせているのは、非常に重要なことなのです。
 そもそもイノベーションという言葉自体は、ラテン語起源の“innovāre” から来ています。この言葉は「アイディアから新しいものを生み出す」という意味で、かなり幅広く捉えられる言葉なんです。
対談は東京とロサンゼルスを遠隔で繋いで実施された。
 イノベーションと聞くとスマートフォンで使われる先進的な技術など、キラキラしたものを想像するかもしれません。ですが私にとってイノベーションとは、インプットがアウトプットになる「プロセス」のことだと考えています。従来の材料が、斬新に組み合わされたり、異なる解釈を与えられたりすることで、全く新しいアウトプットとして生まれ変わる。
 ありきたりな材料からとびきり美味しい料理を作ることだって、イノベーションだと思いますよ。
ダヤル:イノベーションと一言で言っても、幅広いですよね。私たちも、イノベーションを考える上で、お客様やパートナーの知見を多角的に見える化し、協創を円滑に行うためにNEXPERIENCEという方法論を持っています。「どういう社会であってほしいか」という理想から出発し、そこから逆算して考えるメソッドにも積極的に取り組んでいます。
 私個人としてはデータマネジメントの専門家として、このようなアプローチを大事にしながら、どのようにデータを活用してお客様へ価値を生み出せるかという点に、全力で取り組んでいます。

ビジョンから考えるイノベーション

シリング:ダヤルさんはデータ分析がご専門ですが、どういう経緯で日立に加わることになったのか、もう少しお話を伺えますか?
ダヤル:私はデータ分析のことなら何でもやってきた、というデータ畑の人間で、最初はマサチューセッツ州の産業研究所でキャリアをスタートしました。自分の研究が世の中にどのような影響を与えられるのか、常に考えていましたね。
 振り返ればこの40年余りのデータ分析技術の発展は、目を見張るものがあります。最初は、単に企業が日々の業務からデータを集めるところから始まり、それをいかに意志決定に結び付けるのか、そして得られたデータを詳細に分析し未来の業務改善に役立てようというのが現在です。
 私が日立に来たのは、日立がシリコンバレーにビッグデータ研究所を創設した時です。日立が業界で持つ強みから、データ分析とAIを用いて産業界に革新的なイノベーションが起こせるのではないかと考え、日立への入社を決めたのです。
シリング:私たちは同じ時期にテクノロジー研究に携わっていたんですね。
 私はテクノロジーの面白さの1つは、技術発展の「変曲点」を感じられるところだと思っています。まだまだ実現しないだろうと思っていた技術が、ある瞬間(=変曲点)を過ぎると突然世の中に広まるんです。
 たとえば2000年ごろですが、私の学生がスマートホームを実現する技術について、論文を書いていました。当時は誰もが、自動運転・ドローンの実現なんて早くても2030年くらいであろう、と思っていたんですよ。それがすでに、自動運転の機能を備えた車が公道を走り出していますよね。
ダヤル:本当にそうですね。逆に技術的に不可能ではないのに、規制などの問題で実現が遅れる技術もあります。例えばドローン。様々な企業がドローンを活用した宅配サービスを実施する準備が出来ているにもかかわらず、航空規制などの問題や、利用シーンが定まらないために実現していない。技術は存在しているのに、その技術をどのように活用できるのかが議論されていない、という典型例ですね。
シリング:スマートホームもその一例ですね。今となっては一般家庭にも浸透しつつありますが、技術があっても使い方が難しい、設置が複雑といった理由で、なかなか普及してこなかった。
ダヤル:使いやすさ、というのは重要なポイントですよね。私自身の経験から、一例をお話させてください。ある病院で、病院内に存在するデータを統合するプロジェクトを担当していました。患者様の病状、薬の処方状況などの全てのデータを、1つのダッシュボード上で表示しようとしていたんです。
 しかし実際に開発者が作ったシステムがあまりにも複雑で、医師からの評判は散々でした。そこで発想を変え、なんと人類学者にそのプロジェクトに入ってもらったんです。
 どのようなデータがどのような形で必要になるかを、人類学者が医師に細かくヒアリングし、ダッシュボードの画面の見え方や操作性を大幅に改善。今度は非常に評判のシステムになりました。
 これはほんの一例ですが、技術の“見せ方”によって、人々に受け入れられるかどうかが大きく変わる。別の言い方をすれば、素晴らしいテクノロジーのかけらは存在しても、それを集めてどのような革新的なサービスを生み出していくのかには、常に困難がつきまとう、ということです。

協創で生まれるストーリーづくり

シリング:さまざまなテクノロジーにより私たちの生活は劇的に便利になる一方で、テクノロジーの進歩のスピードに圧倒され、人間の仕事が奪われてしまうのではと心配する人がいます。私は個人的に、人間は機械にはない思考力や洞察力を持っていて、それをコンピュータが完全に理解するには、まだまだ時間がかかると思っています。
 一方でコンピュータは、人間にはできない膨大な記録や計算処理が可能ですよね。こういったプロセスをAIが補完することで、人間の働き方を改善できるのではと思いますが、ダヤルさんはどうお考えですか?
ダヤル:はい、同感です。ご存知の通り日本では今、労働者の高齢化が進み、専門知識と経験を持つ社員が定年を迎える時期に差し掛かっています。そこで、熟練の方たちの知識と経験をいかに引き継ぐかが、お客様の企業でも日立自身でも、喫緊の重要な課題となっています。
 そういった課題を改善するためにAIを導入するのは、良いことだと思います。現実社会は予測不可能なことばかりなので、AIに熟練社員の業務を観察させ、学ばせることで、柔軟性を持った業務の役に立てるAIを開発できると思っています。完全なセルフ・ラーニングの技術が確立する前でも、十分にAIを活用できるのです。
 またヘルスケアの例にはなりますが、もう1点例をご紹介させてください。ある患者様を診断するに当たり、その方の病歴や薬の処方記録だけでなく、同じような疾患を持つ患者様の記録も重要になります。一方、1人の医師が診察できる人数や得られる知見は限られており、ある疾患に関する全てのデータを集めるのは、容易ではありません。
 もしも、世界中のあらゆる地域から情報を集めることができたら、患者様にとって最適な診断と治療ができるようになる。日立は研究所内でこのシステムを構築し、患者様が病院を訪れた際に自分の症状や受診履歴をチェックすることで、その方にとって最適な医療施設を選ぶことができる、といった予兆診断システムを提供しています。
 それは、決して生身の医師をAIに置き換えるというものではなく、人間の能力を広げて医師・患者の皆様を助けるシステムなんです。
シリング:テクノロジーは使い方次第ということですね。
ダヤル:その通りです。もう一つ、興味を持っていただけそうな例をご紹介します。世界の食糧事情は非常に大きな社会問題ですよね。先進国に住んでいると、農業はすでにかなり機械化されているように見えるかもしれません。
 しかしその他の地域の農場を見れば、実は家族経営がほとんど。何百年も続いた手法を、未だ継承している農家も珍しくなく、テクノロジーはほとんど浸透していないのです。
 そこで私たちは、農業を始めることにしたのです。実際に土地を買い、農場に多くのセンサーを設置し、アルゴリズムモデルを用いて、どのような作物を育てればその土地にとっても農家にとってもベストかを、農家の皆様にご提案しています。
Getty Images:StockSeller_ukr
 多くの農家は同じ作物を繰り返し育てていますが、もし不作になってしまうとその年の収入に大きな影響が出てしまう。そこでデータをもとに、生産物や灌漑、土地改良方法などを一元的に管理できるモデルを作り上げました。農家が市場にアクセスする手助けも行い、農家の皆様が適正な収入を得られるよう、模索しています。
シリング:興味深いですね。私が最近関心を持っていることの一つに、動物細胞を培養してラボで生産される、いわゆる培養肉があります。
 というのも、開発途上と言われてきた地域の食肉需要が増えており、肉の生産が追いつかなくなっているのです。ですが、家畜が排出する地球温室効果ガスは、世界中の車が排出する量に匹敵すると言われています。今以上に家畜を増やせば、地球環境に大きな影響が出る。そこで、培養肉に注目が集まっているというわけです。
 ところが、こうした事柄を執筆したり、SNSで発信したりすると、「伝統的な酪農家を否定するのか」と、一部からネガティブな声をいただくのです。これはテクノロジーの実現可否というより、文化的、倫理的な議論ですよね。
 新しい技術が社会に受け入れられるまでには、その技術の実現だけでなく、人々の意識や世の中の風潮が変わることが必要になるのだろうと思っています。
ダヤル:その通りだと思います。時にはテクノロジーそのものではなく、テクノロジーを取り巻く国際的な論調にいかに対処するのかが重要になる、ということです。
 我々は米国・サンタクララの研究所で、どうすれば新しいテクノロジーが人々に受け入れられるのか模索する、思考実験も行っています。大事なことは、どのような未来が望ましいかを常に考えながら、新しい技術をいかに受け入れられやすくするのかという点です。
 私たちは企業の立場から、可能性を追求するとともに、反対する意見にも耳を傾けていかなければなりません。その一つ一つのプロセスに情熱を感じながら、取り組んでいます。
(後編に続く)
(編集:金井明日香、取材・構成:土方細秩子、写真:北山宏一・丸野翼、デザイン:九喜洋介)