ルール破壊の前に解像度高い未来像。若林氏が語る次世代サバイブ
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注目のコメント
たしかに、このルールは無駄とか、いらないとかを簡単に口にしてしまうことは多い気がするが、実はルールを再設計しようと思うと非常に難易度の高いことだったりする。さらにそれが現時点ではなく未来を見据えてできるかどうかということも加わる。
だからといってあきらめるわけではなく、しっかりといろいろな視点を持って考察していくこと、できるアクションをしていくことが大事なのかなと思う。
あとはそもそもルールに疑問を持つこと。目的あってのルールなので、手段であるルールは目的に対して更新できるはず。ルールを本当で変えようとすると、必ず今あるルールの必要性やそのルールができた背景にぶち当たりますね。
ちょっと否定するだけだと、そこまで想像がいきませんが。
あとはルールを変えるには周りの協力が必要不可欠なので、地道な対話や根回しが必要だと思います。
ただ、表題にもなっている記事終盤の「カルチャーを味方につけて次世代サバイブ」の章は説明が足りなさすぎだし、言葉が先走りしているように感じて冷めてしまいました。
前半から中盤にかけては共感できたんですけどね。ヴィトゲンシュタインのルールと行為ですね。ルールから逸脱する行為を積み重ねることで、ルールを作り出す。
(参考になるかも)
http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ki_rule.html
成文法に対する判例法にも通ずると思いますが、ルールに従っておけば良いと思って煩わしさを避けて効率を重視することは、イノベーションを生み出さない?!
女子高生的なコミュニティ内での新語を生み出す原動力は、大人の社会へのアンチテーゼや自分達のアイデンティティ、秘密結社の隠語といったことと同義かもしれない。こっちの新しい価値を生みだす行為は、サブカルチャーでも行われており、ルールに対して行為が先行しており、ルールも変わり続ける。
なので、ルールという価値基準が長らく固定してしまうことが問題で、変わり続けることを目的としたルール組成があっても良いのでは。倫理や信念、アイデンティティといったことが、ルールを守ったり既存の仕組みを継続することよりも重視される社会になると面白いですね。ルールには権力や強制といったことが必ずついてまわるので。