NHKが2.26事件で昭和天皇に不可解な誹謗
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歴史というものは当事者にしか真実はわからず、後世の検証は史料に基づくものであるか否かにかかわらず、歴史家を含めた人間の思考や解釈が伴う以上は「幅」が出てくるものです。
昭和天皇も神様ではなくて人間である以上は、心の中に揺れ動く気持ちがあって当然ですし、揺れ動くのは周囲の意見にもよく耳を傾けるという姿勢の現れでもあります。2.26事件の頃もそうですが、戦後の平和や復興についての「お言葉」を巡る宮内庁長官とのやり取りを見ても、しっかりと自らの意思を持ち、かつ違う意見も踏まえたうえで慎重に思考していた様子はうかがえます。
戦争責任の問題についても、愛知トリエンナーレの件は極端にしても、歴史としての検証結果にはやはり幅があります。それは終戦直後の極東裁判の頃であっても同じであり、当時もいろんな解釈の仕方があったことはうかがえますが、たとえ1つの歴史的事実という位置づけであれ、既に結果は確定しています。その結果をもたらしたのは、当時も心の中に揺れ動く気持ちはあった、つまり幅があったことを含め、連合国側が総合的に見て出した判断ということに過ぎません。それでも確定した事実であることは確かです。
あとはNHKのような公共放送、愛知県のような公的機関がどこまで偏りのない解釈を心がけるべきなのかという問題になってきますが、幅があることに対しては、幅があることも含めて解釈を示すスタンスが必要ということに尽きるでしょうね。その過程で「幅」をある程度限定的にすること、つまり極端な解釈を排除することは「慎重」であることの表れであって、公的な立場になればなるほどやむを得ないことなのだと思います。
昭和天皇も、そうしたことを理解されていたからこそ、過去の戦争に関する気持ちを表明することに対し、吉田首相の慎重な姿勢を納得して受け入れたのだと思います。天皇が政治的な発言をしてはならないという慎重さというよりも、もうこれ以上幅を広げるようなことをする必要はないということですね。