【疑問検証】なぜ、ボルボが体操をはじめたのか

2019/8/16
今、TikTok上で拡散されている「#カラダ点検チャレンジ」。その元ネタである「カラダ点検体操」を制作したのは、なんと自動車メーカーのボルボだ。
なぜボルボが、車そのものを売り込むわけではない体操動画を、しかも若年層を中心に人気のプラットフォームで公開したのか。誰もが疑問を抱くところだが、この一風変わった取り組みの背景には、安全性を追求し、創業以来「常に人を中心とした自動車作り」を続けてきた同社の理念があった。

「カラダ点検チャレンジ」で何が起きる?

TikTok上で拡散されている「#カラダ点検チャレンジ」と題する「ハッシュタグチャレンジ」をご存知だろうか。その元ネタである「カラダ点検体操」を制作したのは、なんと自動車メーカーのボルボだ。
これは一体、どういった取り組みなのか。疑問に答えてくれたのは、ボルボ・カー・ジャパン、マーケティング部の関口憲義氏だ。
「『カラダ点検体操』は、運転中のミスを防ぐことを目的とした、ドライバー向けの簡単な体操です。シニアを中心に幅広い世代から支持される『きくち体操』の生みの親で、人の動きと健康を長年研究してきた菊池和子先生が私たちの思いに共感し、監修を担当してくださいました。
さらに、若い世代の方々にも体操を気軽に行ってもらうため、TikTokerのワタルさんに『#カラダ点検チャレンジ』の楽曲と振り付けをお願いしました。
たくさんの若い方に楽しんでもらえれば、そこから親や祖父母の世代を巻き込むことができるんじゃないかと思ったんです」
「きくち体操」は、単なるダイエットや筋肉を鍛えることを目的とした動きではない。「思ったとおりの動きができないのは、脳からの指令がきちんとカラダに伝達できていないからだ」という考えのもと、体の動きのすべてを司る「脳」に着目したのが特徴だ。
脳と筋肉のつながりを意識することで、自分のイメージどおりに体を動かせるようになる。そんなきくち体操の動きの中から、運転にも必要な脳と筋肉のつながりを育てる動きをピックアップして監修したものが、「カラダ点検体操」というわけだ。

約50年間で4万件を超える事故調査の成果

そうは言っても、「なぜボルボが体操を?」という疑問は残る。
それを知るために有効なのが、ボルボというメーカーの自動車の安全性に対するこれまでの取り組みだ。
「たとえば、自動車メーカーのCMなどで目にする機会も多い『衝突実験』ですが、ボルボで年間に行われる実車での衝突実験は約500回。
ボルボにおいてはすべての車種が独自の社内衝突実験をパスしていますが、そこでは全世界の安全基準と試験項目を大きく上回る40以上の項目について、厳しいチェックが実施されています」(関口氏)
関口 憲義
ボルボ・カー・ジャパン株式会社
マーケティング・ディレクター
1988年、(株)電通に入社。マーケティングの実務畑を歩み、大手自動車会社、大手電機メーカー、大手通信キャリア、外資系トイレタリー会社などのマーケティング・コンサルティング、ブランディング、新規事業戦略立案に携わり、2001年、海外研修員として米国へ。2003年5月、ノースカロライナ大学チャペルヒル校、キーナン=フラグラー・ビジネス・スクール(MBA)修了。2014年11月1日よりボルボ・カー・ジャパン(株)に入社し、現職。専門はマーケティング、ブランディング、CSR/CSV。
ボルボの活動は実験だけに留まらない。
「車は人によって運転され、使用される。したがって、ボルボの設計の基本は、常に安全でなければならない」という信念から、1970年には他社に先駆けて「事故調査隊」を発足させた。
これは、スウェーデンのボルボ本社から半径100km以内で起こった、ボルボ車が関与した事故を、現場の警察や事故の目撃者と一緒になって調査するチームだ。チームは24時間体制で勤務、現場に駆けつけるという。
「スウェーデンでは『警察より救急車より先に事故調査隊が来る』と言われるほどなんですよ」と関口氏。
実際の事故現場と事故車両、事故時の状況、どの席にどんな人がどのような状態で乗車していたのか、男性か女性か、大人かこどもなのか、チャイルドシートを使用していたのか等、詳細に渡って調査する。
了解を得られれば、当事者の怪我の状況や回復までに要した過程までを徹底的に調査し解析。現在までの約50年間で4万件を超える自動車の事故データと、7万3000人に近い乗員の調査データが収集されている。この膨大なデータの蓄積が、次の先進安全機能への開発につながっている。
また、それらの活動から得られた豊富なデータについて独占することをよしとせず、今年ボルボは、40年以上にわたる安全に関する研究を「E.V.A.プロジェクト(Equal Vehicles for All)」として一般公開することに踏み切った。
ボルボの安全性に対する本気度の高さの象徴と言えるだろう。
「3点式シートベルト、側面衝撃吸収システム(SIPS)、横転保護システム、歩行者向けエアバッグをはじめ、数々のイノベーションがあります。これらボルボの安全技術を生む礎となった事故調査データと研究データを、現在無償で公開しています。
それにより世界中の自動車がより安全になってくれればと思います」(関口氏)
3点式シートベルトは、ボルボのエンジニア、ニルス・ボーリンにより、1959年に開発、実用化。ボルボは、誰もがこの技術の恩恵を得られるよう特許を無償公開した。
インターセクション・サポート(右折時対向車検知機能)は、交差点での右折時に、直進する対向車と衝突する可能性が高まった場合に車両が自動的にブレーキを掛け、衝突回避を支援する。
また、他の自動車メーカーでは、アクセサリのような扱いで、グレードに応じて安全機能の有無に違いが生じる。一方ボルボは、先進安全・運転機能(安全機能)について同一モデル内でのグレードによる差異は一切ない。
ソフトウェアの更新でカバーできる機能であれば、最新機種を購入しなくても最新の先進安全・運転機能を装備できるのも特徴的だ。数千円程度の作業費はかかるが、新車を一台買うのと比べれば、その差は言うまでもないだろう。
ここからも、すべての人に最新の安全を享受してほしいという考えや、安全に一切の妥協を許さないボルボらしい一面が見て取れる。

「安全な車を作る」だけでは達成できない課題

実際の事故現場からのデータ、そして実験と調査から課題を明らかにし、人体に重篤なダメージを与えるものから解決する。
実直にその努力を続けてきたボルボが、2007年に掲げたのが「Vision 2020」だ。「2020年までに新しいボルボ車に搭乗中の事故における死亡者または重傷者をゼロにする」ことを目標に掲げている。
しかし、Vision 2020達成のためには、残された3つの課題があるという。「スピードの出しすぎ」「酩酊状態での運転」、そして「注意力散漫」だ。
スピードへの打ち手として、今年3月には2020年以降のすべての新型車において最高速度を時速180キロに制限すると発表した。
また、現在、運転手の状態をモニターし、運転するのに適した状態かどうかを判別するための技術も開発中だ。これが製品化されれば、酩酊状態での運転を「物理的にさせない」ということも可能になる。
これらの技術革新だけではカバーしきれない課題が「注意力散漫」だ。これは、昨今よく報じられるペダルの踏み間違いによる事故にもつながるものと言えるだろう。
「どんなに安全運転を心がけている人でも、運転中に急に眠気に襲われたり、不注意から事故を起こしかけてヒヤッとしたりした経験が、一度はあると思います。
また、技術の進歩により、運転はどんどん簡単になっていて、それが油断につながっている側面もある。そこで、どんな世代に対しても安全運転の啓蒙を図る必要があるという原点に立ち返ったのです」(関口氏)
その結果生まれたのが、冒頭で紹介した「カラダ点検体操」だ。「なぜボルボが体操を?」という疑問が解消されたのではないだろうか。
「TikTokerのK-FIVEマミー氏には、家族で体操に取り組み、『#カラダ点検チャレンジ』とハッシュタグをつけて動画をアップしていただきました。動画を見ていただければわかるように、おばあ様にも参加していただいています。
同じように、多くの方が動画をアップし、楽しみながら家族みんなで安全運転に対する意識を向上できればと考えます」(関口氏)
ボルボをはじめとする自動車メーカーの努力により、交通事故による死者は年々減少を続けている。その反面、メディアでは高齢者の事故が取り上げられる機会が多くなり、免許返納を促す取り組みもはじまってきた。ただし、安全運転意識の向上が必要なのは高齢者だけではないはずだ。
より自動車による事故の少ない、安全な社会を築くことができるか。メーカー側が直接は手を下せない運転者の意識に切り込んだボルボの異色の挑戦は、まだはじまったばかりだ。
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(執筆:唐仁原俊博 編集:大高志帆 撮影:露木聡子 デザイン:堤香菜)