デジタルメディアが主流になって久しい現代だが、いまやオンラインとオフラインとが区別されない、新しい時代が始まっている。
本連載では、書籍『アフターデジタル』から、その一部を4回にわたって紹介する。
近年、世界のビジネスの形をがらりと変えてきた中国企業。その核であるUX(ユーザーエクスペリエンス、顧客体験)を競争原理とした潮流に、日本は取り残されつつある。
アリババや平安保険といった中国企業の戦略事例から学ぶ、私たちが目指すべき指針とは。

ビフォアデジタルとアフターデジタル

 本書のタイトルになっている「アフターデジタル」という世界観について説明します。これまでのリアルとデジタルの認識は、「オフラインのリアル世界が中心で、付加価値的な存在として新たなデジタル領域が広がっている」という図式でした。この状態を「ビフォアデジタル」と呼んでいます。
 しかし、モバイルやIoT、センサーが偏在し、現実世界でもオフラインがなくなるような状況になると、「リアル世界がデジタル世界に包含される」という図式に再編成されます。こうした現象の捉え方を、私たちは「アフターデジタル」と呼んでいます。
 アフターデジタルの社会では、人は常時デジタル環境に接続している状態になり、リアル行動も含めたあらゆる行動データが蓄積されます。企業側からすると、ユーザーとの接点が急激に拡大し、リアルの場所は「密にコミュニケーションできるレアな接点」になると言えます。ビジネスパーソンである皆さんの考え方に沿って言い換えると、以下のような転換です。
【ビフォアデジタル】
リアル(店や人)でいつも会えるお客様が、たまにデジタルにも来てくれる。
【アフターデジタル】
デジタルで絶えず接点があり、たまにデジタルを活用したリアル(店や人)にも来てくれる。
 デジタルトランスフォーメーションを推進する上で、この考え方に転換できるかどうかが最も重要ですが、ビフォアデジタルにどっぷり浸かっていると、非常に難しい思考法になります。「デジタルツール」という言い方がありましたが、もはやリアルの方が「ツール」になります。
 つまり、「デジタライゼーション」の本質は、デジタルやオンラインを「付加価値」として活用するのではなく、「オフラインとオンラインの主従関係が逆転した世界」という視点転換にあると考えます。
完全なオフラインはもはや存在せず、デジタルが基盤になるという前提に立った上で、いかに戦略を組み立てていけるかという思考法が必要不可欠になります。
 「デジタルトランスフォーメーション」という言葉は、企業のためにあるのではありません。社会インフラやビジネスの基盤がデジタルに変容(トランスフォーム)することを指しているのです。基盤が変化するわけですから、私たちの視点もそれに合わせて変えていかないといけない、ということだと思います。ビフォアデジタル的な世界の捉え方や視座を持ったまま、デジタルトランスフォーメーションを叫んでいる。今の日本はそんな状況にいると感じています。

リアルな生活がオンライン側に移行した時代

 アフターデジタルとは、ある意味「デジタル側に住む」という感覚なのですが、これは既に日本の若い世代では数年前から見られ始めています。例えば、学校には友だちがいないけど、インターネット上で同じミュージシャンやアニメが好きな人とすぐに、リアルタイムにつながれるので、仲間がたくさんいる、といった若い人たちの生活スタイルはその1つの例です。
 リアルよりデジタルのほうがマッチング精度は高く、コミュニケーションハードルも低く、彼らにとって「リアル」な人間関係を築きやすいのです。もちろん、学校に同じ趣味趣向を持った人がいるかもしれませんが、日常生活では、なかなかそういう話ができる機会や場所はありません。
 若い社員が会社で理不尽に感じる企業文化として、コミュニケーションは「対面」が一番上、次に「電話」、その次が「メール」という価値観があります。「仕事中にスカイプやLINEでコミュニケーションするな」という従来型のマナーです。
 既にデジタル側に住んでいる人たちからすると、リアルチャネルはデジタルに包含された一部のツールなので、メールより、スカイプで直接顔を見てコミュニケーションしたほうが便利と実感しており、頭ごなしに「ダメ」と言われるのは理解できない理屈です。デジタル技術のおかげで時間や距離の制約を取り払えるのに、メールを送った後に「いまメールを送りました」と電話をかけて確認してくるクライアントに首をかしげる新入社員がいるというのは、よく聞く話です。
 「そんなのはリアルじゃない!」と言われがちですが、アフターデジタルの論理で生きている人にとっては、デジタルに拡張された世界自体がリアルなのです。ビジネス上の関係しかなかったけど、フェイスブックでつながったら意外とひょうきんな人で、近い趣味があることが分かり、そこで知ったことを話題にして会話が増える。そんなことは大人の皆さんにもよくあるはずです。それが拡張してリアルとデジタルの主従が逆転した、または溶け合って違いがなくなった状態だということです。

人と場所の役割 ──リアルアセットの持つ意味とは?

 日本は「人の接遇」や「ものづくり」に強みがあるといわれます。リアルのアセットを持っていてもアフターデジタルの世界観では意味がないのかというと、そんなことはありません。リアルチャネルは「密にコミュニケーションを取れる貴重な接点」なので、リアルチャネルにはより高い体験価値や感情価値が求められ、十分に強みを発揮すべきポイントになります。
 平安保険の「平安グッドドクターアプリ」でも、アプリを使い始める際に営業員を派遣し、アプリの良さや使い方を懇切丁寧に説明していました。つまり平安保険は、彼らの経済圏や世界観に顧客をオンボードさせるための信頼とインストラクションを、人というリアル接点で行っているのです。だからこそ、アフターデジタルに対応しながらも、営業員を増やしているわけです。
 先日、平安保険のロイヤルカスタマーにインタビューをした際、こんなことを言っていました。
「平安保険は、生活上の問題を解決してくれる、頼りになる友だちみたいな存在だ。疑問があったら解決してくれるし、健康も保障してくれる。健康アプリは毎日使っているし、お小遣いアプリも週に1度くらいは使っている。でも、一番初めに保険営業員の人が親身に相談に乗ってくれて、正しい提案をしてくれ、デジタルサービスを教えてくれなかったら、ここまでの存在にはならなかったし、アプリをこんなに使うことはなかった」
 ここまでのロイヤルティを一保険企業に対して持てるというのは、アフターデジタル型の接点構成でビジネスモデルを展開しているからこそだと考えます。
リアルとデジタルの役割の逆転を含む「アフターデジタル型の接点構成」は、2018年に話題になった「カスタマーサクセス理論」における接点の考え方である、ハイタッチロータッチテックタッチと非常に親和性が高いです(『カスタマーサクセス サブスクリプション時代に求められる「顧客の成功」10の原則』(英治出版)参照)。
 この考え方は、「3つのレバレッジ力の異なる接点を組み合わせて顧客との関係を築いていくべきである」と説いています。
 ハイタッチは人が個別対応する最も密接な接点、ロータッチは人が複数人を相手にする接点、テックタッチは人数制限なく展開可能で、人が介在する必要のない接点(オンラインサロンなどで介在する場合もある)を指しています。
 基本的には「顧客をより良い状態に導くために、顧客の階層に応じて対応レベルを使い分け、顧客の成功と自社の収益とが両立する合理的なバランスを取る」としています。平安保険の例では、これらを同じ顧客に対しても複合的に使っている傾向があります。
※本連載は全4回続きます。
(バナーデザイン:大橋智子、写真:Rawpixel/iStock)

本記事は藤井保文・尾原和啓『アフターデジタル – オフラインのない時代に生き残る』(藤井保文・尾原和啓〔著〕、日経BP)の転載である。

藤井 保文(ふじい やすふみ)
株式会社ビービット東アジア営業責任者/エクスペリエンスデザイナー
1984年生まれ。東京大学大学院学際情報学府情報学環修士課程修了。2011年ビービットに コンサルタントとして入社、2017年上海支社に勤務し、モノ指向企業からエクスペリエンス企業への変革を支援する「エクスペリエンス・デザイン ・コンサルティング」を行っている。
尾原 和啓(おばら かずひろ)
IT批評家、藤原投資顧問 書生1970年生まれ。
京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、Google、楽天(執行役員)など数多くの事業企画や投資、新規事業に従事。経済産業省対外通商政策委員、産業総合研究所人工知能センターア ドバイザーなどを歴任。