【渋沢栄一】今さら聞けない「日本資本主義の父」の偉業

2019/6/20
「NewsPicks Magazine」Vol.5 6月20日発売
第1特集は「世界を変えるイノベーター50人」。元祖イノベーターであり、新しい1万円札の顔になる日本資本主義の父・渋沢栄一を筆頭に、国内外の変革者たちを50人紹介。「渋沢栄一」論の一部をここに掲載します。
ここにある2枚の写真は1867年、渋沢栄一27歳の姿である。

時は江戸時代末期、渋沢栄一は水戸藩・徳川昭武に従いパリ万博使節団の一員としてヨーロッパの地に渡った。

まげを切った理由について、渋沢栄一は「ヨーロッパでは誰もまげを結っていないから」と妻・千代への手紙に記している。

しかし武士がその象徴である「まげ」を切り、洋装に身を包むのは、当時の常識では考えられないことだ。

なぜ、このような行動を取ったのかーー。

それは渋沢栄一が常識にとらわれず、その状況で最も理にかなった選択をする"リアリスト"だったからだ。

2024年より、1万円札の顔になる日本資本主義の父・渋沢栄一。その足跡を振り返り、元祖イノベーターの行動や思考を紐解いていこう。
そもそも渋沢栄一とは、何を成し遂げた人物なのか。
まずはその功績を振り返ってみたい。
渋沢を語るうえで注目されるのが、関わった企業や団体の数だ。
企業数は約500社、社会活動の団体などを含めると1000を超える組織の設立・運営に関わった。

100年残る社会インフラを築く

特筆すべきは設立した企業の業種だ。
33歳で創立した第一国立銀行(現みずほ銀行)を皮切りに、鉄道、電気、ガス、不動産開発、物流など現代でも社会インフラとして重要な役割を果たしている企業が多い。
明治に渋沢が設立した企業と令和を生きる私たちの間には、このような接点がある。
なぜ渋沢は、後世に残るインフラをつくることができたのか。
それは27歳で訪れたヨーロッパで、近代的な社会を目の当たりにしたのが大きい。