「自分が見えている人」は、なぜ、人間関係が上手なのか
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米国大学時代の同級生には第三者目線が発達している人が多く、感情的になると自分に良いことがないのを認識した上で、相手がどう思うか=どう振る舞えば自分にとって最もメリットがあるか、を常に上手く計算していました。
人間関係の対処法をステップ別に解説した記事を寄稿した事がありますが、相手目線に立ってみるとなぜ相手がその発言をしているのかが面白いほどに分かり、心に余裕が生まれます。その余裕が人へのリスペクトを生み、自分の仕事効率を上げます。そのポジティブサイクルをいかに生み出せるかで日常のQOL自体が大きく変わると実感しています。
参考: 『ハーバード生は「ダメ出し」を細分化で解決する』
https://toyokeizai.net/articles/-/266604?display=b認知症の方や、精神疾患の方、反社会的言動を取る方々、アルコールや薬物依存症や堅気でない方、自業自得で同情の余地もない人であっても、私たち介護や福祉職はその人が人権を行使できることを応援する職業です。
すると、どうしても価値観や自分の中の常識として受け入れ難い方々とも向き合わなくてはなりません。
そんな時用いてる技法が「自己覚知」と呼ばれるものです。簡単に言うと「自己分析して自分の価値観を客観視して横に置き、相手とフラットな状態で向き合えるようにすること」です。記事中のエゴと向き合うことに近いです。
ただ、静かに見つめて出来る人がいるかもしれませんが、かなり困難です。やはり自分と向き合うためには対話してくれる他者の存在が不可欠です。
なぜなら、自分のエゴと向き合う時、人は幼少期のことや、辛い体験など自分の今を形作っているものと向き合わなければならないからです。時に自分の中にある隠したい自分、人には見せられないような汚い自分とも向き合わなくてはならず、目を背けたくなるもの。
このプロセスを乗り越えた時、人の多様性を受け止められる自分(援助者)として成熟します。
実は、記事中の自分の中の未知なる自分を見つけて可能性を育て広げるというのは違和感があります。
本来的には、自分の隠したい自分と自分が向き合うことで、自分という者を受け入れ、自分の尊さや未熟さを応援できる=無限の可能性へ挑戦することができる、という方が良い気がします。
いずれにせよ、ご自身と向き合いたいならば、静かに自分を見つめる以上に、きちんと話を聴いてくれる、信頼する他者、場合によってはプロに頼ることも必要と思います。