小5の息子が考えた「子どもに選挙権がない理由」に考えさせられた話
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書きました。先日Twitterに書いたつぶやきを編集者の方が見て下さって、ふくらませて記事になりました。SNSでメディアのコンテンツ案ができる時代なのだなあと思います。
記事には息子とのやり取りを紹介しています。娘は、先日、お友達とある市会議員候補の選挙カーを「がんばれ!がんばれ!」とすごく応援したそうで「みんなを応援してるんだね」と言ったら違っていて「ポスターを見てこの人を応援する、とお友達と決めた」そうで、その基準は「お母さん、って書いてあって赤ちゃんの写真もあったから」。
家で特定の候補に言及しないようにしていたので、20数名のポスターを自分たちで見比べて、女性候補も4割ほどいる中、色々考えたんだなあ、と感心したのでした。しかもお友達と話し合っているし。子どもをなめてはいけない。
もし、娘たちにも選挙権があったら、お母さんに限らず、ネコを拾ってきて育てている人とか、犬をかわいがっている人とか、病気のおばあさんおじいさんを看病してる人とか、ケアワークを評価するだろうから、名前連呼の選挙も変わるだろうな、と。お子様にこのような問題提起をし、考えさせることは教育上とてもよろしいことと思います。
しかし同時に、近代民主主義の成り立ちについても是非教えていただき、その理解を深めて欲しいとも思うのです。
私たちは日頃参政権、被選挙権を含め、これを産まれながらにして与えられた天賦の権利として、考えがちです。
しかし同時に、現代のような民主主義が成り立つ過程において、数百万人の尊い人命が失われ、数百年に渡る先人の自由を求める闘争と、苦難の歴史があったことも知っています。
その血と歴史の代償を担える覚悟と責任があるかどうかが、民主主義の権利を持ち得るかどうかの原点にあるわけです。
間違っても民主主義をあたかも空気のごとく、あるいは産まれながらの当然の権利とし、それを行使できないことを人権侵害の様に軽く扱ってはいけません。
そして将来の民主国家の主権者の地位を担うお子様のためにも、あるいはお子様世代がになう未来の日本にとっても、その様に扱うことは決して良いことではありません。
私たちは意識するかしないかは別として、歴史的に見れば太古から続く自由と権利を求める闘争の継承者に他なりません。
その権利は不断の努力によってしか維持することはできず、大人はその権利と引き換えに、歴史上の義務を背負っているのだということを、是非この機会にお子様に教えていただきたいと思うのです。権利と責任は表裏一体。この社会のあり方の責任の一端を子どもに担わせないためではないでしょうか。
それにしても色々考えさせられる素敵な記事だなと思いました。選挙に行く前に大人が読むべきですね。