私たちはなぜワクチンを怖がってしまうのか? 進化論的に考えたら
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医学的に妥当なお話をするのであればワクチンを打つことを推奨します。本質的には個々のワクチンのメリットとデメリットを議論して推奨すべきかもしれませんが、一般的なワクチン全般をオススメします。
リスクを考慮したとしても、接種した本人への予防効果とアウトブレイクを防ぐ集団免疫という観点の両方からです。
例えば麻疹にかかると数万人に1人ではあるものの、亜急性硬化性全脳炎を生じます。様々な神経症状が出た後に数年で死に至ります。それを予防できることはとても大切なことです。数万人に1人はあなたかもしれませんし、あなたの大切な方かもしれません。
さて、進化論の是非は置いておいても、人に認知バイアスがあること自体が進化であると考えるのであれば、ワクチンの開発も数学の発展も統計学もいわゆる「テクノロジー」も進化なのだと考えます。
自然=良いもの、人工=悪いもの、そんな二項対立にも意味はありません。そこに線を引くこと自体にあまり本質的な意味はないのではないかと思います。「デジタルネイチャー」みたいな話ですが(笑)
大切なことは
>いろいろ工夫し、努力することで、リスク認知に対する進化的な制約を弱めることも可能なはずだ。
自己介入においてもそうですし、アナウンス・ナッジ・インセンティブなど他者介入や集団介入においてもそうなのでしょう。
進化論が信じられるのであれば、遺伝子に刻まれた「変われない」を信じるより、全ての生物がそうであったように自身においても「良いものに変われる」と信じられるとよいのではないでしょうか。
良い・悪いの基準という問題は残りますし、多様性を受容することと相反するようにも感じられるかもしれませんが、違いを認めつつ個人の満足度・健康を保ちながら、集団としても良いものに変われる道のりに「進化」していけると考えます。人は病気になって不健康な時に病院にいきます。困っているから病院に行くわけで、そこでの治療で副作用が出たとしてもある程度は仕方ない、と考える傾向にあります。
一方で、ワクチンは健康な時に受けるので副作用が出た場合、強い不満を抱き過剰に反応しがちです。HPVワクチンの件然り、メディアがその不安を余計に煽るため、「怖がってしまう」のでは。
感情的な側面にも配慮しつつ、エビデンスに基づいたメリットを強調するような伝え方をしていく必要があります。人間のリスク認知の変化はある程度な進化論的に捉えることもできなくはないが、そもそも「リスク」という概念自体が極めて近代的。
元々は船乗りくらいしかわかってなかった。
それ以外の人達にとっては、日常的な「なんかヤバそうだな」ということを経験的に回避するくらいで、運命は自分で決めるものではなかった。
ちなみに、海原雄山によれば、甘味の基本は干し柿にある。