2度の“ちゃぶ台返し”を経て決定した「AI社会原則」の意義
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注目のコメント
グローバル社会はますます進むので、もはや国がどうのこうのと言うより、人類がどうなるかに寄与できるかが肝心。重要な議論だと思う。議論を仕掛けるパーティーとしての日本の存在と考えるなら、技術力がまだある程度あるというイメージを保持しているうち、日本のブランド力がまだあるうちにしっかりグローバルにわかりやすい議論を仕掛けられれば、影響力を保持できるのではないか?そして清濁併せ呑む包容力を持った日本的な考え方が一定の影響を及ぼすことは人類のためにもなるはず。と私は信じている。
文中にもあるようにいまはまさにゲームチェンジGAFAから潮目が変わる時。情報銀行構想などもそうだが、今できることはたくさんあるはずだ。
「国際的に認められた原則は社会の要請の根拠となり、コンフリクトはゲームチェンジの起点になる」これはこれで良いと思いますし、AIに定義がないので仕方ないのですが、これは「データ分析原則」になってしまっていて、AIの名を冠する意味がどこまであるのかは正直疑問です。AIの社会的位置付けをめぐる議論では、このように殆どデータ分析と同様の扱いを受けていて、AIの本質的な変化についていけていない気がします。
と言っても私にも答えがあるわけではありませんが、今のところは一定以上の複雑さをもつディープラーニングを定義した上で、その経済活動における使い方の原則(開発者や所有者、使用者の責任の取り決めを整理し、届け出制にする等)を決める、とかでしょうか。
プライバシー権の議論は、競争力とのトレードオフがあり難しい部分がありますが、日本での法的議論は歴史的にも後追いで、米国やOECDで指針が固まってから対応するという経緯を辿っています。一部若手は動いていますが、法曹界の方々やローメイカー(政治家)はもっと積極的に変化に対応して頂いて、日本ならではの形を模索して欲しいなと思います。まさにデザインシンキング。非常に重要なことだと思いますが、AI社会の原則というよりも、人間社会の基本原則のように思いました。
持続性のある社会を実現するためには、”持続性のある社会>人間中心の原則”となることが理想だと思います。