製薬業から「デジタルプラットフォーマー」への挑戦

2019/3/14
動物用医薬品のリーディングカンパニー、共立製薬は2018年11月、製薬という領域を超えて、動物医療支援のためのデジタルプラットフォーム事業を開始した。なぜ、医薬業者の共立製薬がデジタルプラットフォームの構築に乗り出したのか。そこにはリーダーとして、業界全体を変えなければ産業自体がなくなりかねないという危機感があった。動物医薬業×テクノロジーでデジタルトランスフォーメーションを実現しようとする共立製薬の挑戦の姿を紹介する。

ペット業界に潜む慢性的課題

──医療業界では、医療費の増大や少子高齢化、医者や看護師の不足などの問題が深刻ですが、動物医療の業界ではどのような課題があるのでしょうか。
萩原 ペットは人が飼うものですから、少子化によって人口が減ればペットを飼う人も減少し、ペットも比例して減っています。そうすると、当然、動物病院の利用頻度も減っていく。全体としてペット業界、動物医療業界が縮小傾向にあります。このトレンドは今後も続くとみています。
共立製薬 専務取締役 萩原誠
 もう一つ、獣医師の労働環境も重要な問題です。診察時に犬や猫は人のようにじっとしていてくれません。獣医師は大切なペットを傷つけないように注意を払いながら、常に立ったままで治療にあたり、身体的な負担は小さくありません。
 また、ペットは人間のように自分の意思を伝えてくれませんから、そうした状況の中で適切な治療方法を決断するのは至難の業なのです。
 獣医師の仕事は非常にタフで難易度が高く、一つひとつの治療に時間がかかります。それにもかかわらず、獣医師は慢性的に不足している。これもペット業界が抱える問題です。

製薬業を“越境する”チャレンジ

──共立製薬は、動物向けの製薬業を営む企業ですが、今回、動物医療プラットフォーム「VRAINERS(ブレイナーズ)」を始めましたね。
萩原 VRAINERSは、主に2つの役割を果たすデジタルプラットフォームです。1つは動物病院とペットオーナーをつなぐ「懸け橋」になること。2つ目は、動物病院の経営、獣医師の業務効率化を果たすことです。
 1つ目は、「診察券」を進化させたようなペットオーナー向けアプリ「my VRAINERS」を通じて、受診の予約ができたり、健診結果やワクチン接種証明などをスマートフォンやタブレット端末から確認したりすることができるようにしました。
 定期健康診断や経過観察の結果をもとに必要情報を動物病院 から直接ペットオーナーに提供することで、ペットが重篤化する前に動物病院で受診することを促します。
 2つ目は、電子カルテのデータをクラウドで総合的に管理し、それぞれの動物病院やペットオーナーから許可を得た範囲でデータを分析し、動物病院の経営をサポートする機能です。
 電子カルテも、人医療の現場におけるカルテをそのまま動物病院に移植しただけではだめで、動物医療の現場では、その場にパソコンを置いて電子カルテに入力するなんてできません。
 立ったまま、それらの状況を補うために、獣医師の方々が操作しやすいUIや機能を付加しています。そうした細部にも現場の獣医師のみなさんの声を取り入れてこだわり抜いています。ここが私たちの思う動物医療の「高位平準化」です。
──製薬業とはかけ離れたビジネスですが、なぜ共立製薬がやることを決めたのでしょうか。
萩原 先ほどお話しした課題を解決するためです。
 おっしゃる通り、私たちのビジネスは製薬業です。とはいえ、ペットが減ればマーケット自体が小さくなり、薬の需要も減少します。動物医療マーケット全体の活性化、つまり、ペットオーナーが病院に訪れる機会を増やすために、国内の動物向け医薬品業界全体をみても行動しなければなりません。
 そして、それはマーケットシェアNo.1のマーケットリーダーである私たちの使命だ、という危機意識がありました。
 動物病院を受診するペットは全体の40%程度で、その3割のペットも病院を訪れる頻度は1年に1回程度と少ないのです。
 いくら大切に飼っているペットオーナーでも、人のように意思表示できない動物の身体の異変には気づきにくいものです。そうすると、動物病院を訪れるのは、症状が重篤な状況になった時くらいで、結果的に動物病院を訪れる機会が限定的になってしまっているのが現状です。
 動物病院での受診機会を増やせば、ペットの健康を増進することにつながり、全体のペット数が減少するとしても動物医療のマーケットの縮小を食い止めることもできるのです。そして、何より健康なペットを増やすことこそが、ペットオーナーとペットが長く暮らせる時間を増加させることにつながるのです。
 そして、獣医師の労働環境の改善にも貢献します。VRAINERSでは、近い将来にAI(人工知能)を使った診断サポートを導入することも考えています。獣医師も看護師も不足し業務が多い中では、AIのようなテクノロジーの力は今後必ず必要になってきますから。
──それにしても、製薬会社がITプラットフォームを構築するのは異例です。
萩原 そうかもしれませんね。国内外を調査しても類似例はありませんでした。
 もともと共立製薬は、海外から薬品を輸入し販売する商社として始まった会社ですから、必要性を感じたらチャレンジしてみるという、柔軟な経営スタイルも影響しているかもしれません。以前にも同じような構想を考案していたのですが、当時はテクノロジーもまだそろっていませんでしたし、業界の危機意識も薄かったので、実現には至りませんでした。
 今は技術的にも、また業界の置かれた状況的にも「機が熟した」と判断したので、チャレンジすることにしたのです。

道が正しければ利害を超えた「協調」が生まれる

──とはいえ、医薬業の共立製薬にとっては未踏のプロジェクトでした。何が成功要因ですか。
萩原 まだベースができあがっただけで、これから勝負です。ただ、成功するか否かは、獣医師の皆様や動物医療業界を支える方々のご協力と、私たちのこのプロジェクトに対する覚悟にかかっています。
 製薬業界では、「キーオピニオンリーダー」と呼ばれる先生方の協力が普及の成否を分けます。今回、多くの先生方からご賛同いただき、開発段階から意見をもらえたこと、データの提供に理解を示していただけたのは、ありがたいことでした。
 こうした潮流ができたのは、会社への信頼をいただけたという自負もありますが、将来に向けて動物医療業界として進むべき正しい道、と先生方からの共感をいただけたことだと思います。
──動物病院と製薬会社という関係を超えて、パートナーとして進めることができたのですね。
 そうです。また、パートナーということで言えば、今回、テクノロジーコンサルティングパートナーとして私たちとともに歩んでくれた日本IBMの力も大きかったです。
──医薬や医療の業界では、国内の大手ITベンダーが強い領域です。なぜ、IBMだったのでしょうか。
  このプラットフォームは今後も進化させていく計画で、とくにAIの活用は進化させるうえでのキーテクノロジーになると感じています。医療、医薬におけるAI導入は、世界でもまだ試験段階で、動物医療においては実例がありませんでした。そんな状況下でプロジェクトを進めるには、十分な実績と信頼がある企業をパートナーにしたかったのです。
 また、VRAINERSでいずれは世界に打って出たいという構想もあるので、グローバルでサポートしてくれる企業であることも重要な指標でした。
 電子カルテなど機密性の高い情報を保管し、利用するようなデジタルプラットフォームには信頼性の高いインフラが不可欠でした。IBM Cloudが持つ高いセキュリティが、人医療業界向けの3省4ガイドラインに対応していることもポイントでした。
 「AI=IBM」というイメージがありましたし、ITソリューションの総合力、実績やグローバルでの体制は言うまでもありません。私たちにとって本当に大きな仕事を、安心して一緒に進められるパートナーは、日本IBM以外には考えられませんでした。

プロジェクトを全方位で束ねるIBMの実力

──その熱意に応えようと、IBMはテクノロジーに強いメンバーだけでなく、経営戦略とIT戦略の立案を担うコンサルティング部隊「グローバル・ビジネス・サービス(GBS)」のメンバーも含めた組成で臨んだと聞いています。実際にプロジェクトを指揮されている前島さんは日本IBMをどう評価していますか。
前島 プロジェクトチームに与えられた時間は決して十分ではありませんでしたが、一般的なシステム構築の常識と比較すると考えられないスピードで進めてくれました。
30人ほどのメンバーを速やかに任命し、スケジュールどおりに遂行してみせるという、日本IBMの本気、底力を感じました。そして、テクノロジーとコンサルティングの両輪からなるタスクフォース編成も見事で、目先と将来の両方をバランスよく取り入れている視点は私たちも学ぶことが多かったです。
共立製薬 新規事業推進部部長 前島智士
──両輪で構成するチームの何が魅力なのでしょうか。
前島 システムプロジェクトでは、直近の結果を出していくエンジニアが、力を持ちすぎてしまうことがあります。一方で、獣医師が必要としている機能、ビジネス上のニーズといった要素を将来のプラットフォーム構想として、常に先を見据えて取り入れる必要があります。
 コンサルティングとエンジニアリングのハイブリッドスキルを備えたGBSのメンバーは、おそらくなじみのない動物医療業界の知識を短期間で学び、共立製薬のプロジェクトチームメンバーや獣医師たちの言葉をうまくテクノロジーに落とし込んでくれています。
 またアジャイル開発により、アプリのパイロット版をユーザーに利用してもらい、意見をもらいながら迅速に改善したことも、短期間でのサービスリリースにつながりました。私たちはビジネスやテクノロジーといった複数の言語を使い分ける必要がなく、彼らと対話する1つの言語だけでコミュニケーションを取ることができています。
 会社や立場、カルチャーも違う関係者が集まったプロジェクトチームで、目先ではなく将来を考えて、それぞれのニーズを反映させていくことができています。VRAINERSはペットとペットオーナーのために、動物病院、日本IBM、そして共立製薬の3者がまさに一体となったユニークかつ革新的なプロジェクトなのです。
──最後に、今後の発展計画についてお聞かせください。
萩原 まだまだ発展途上なので、IBM Cloud上でシステムをアジャイルに発展させながら、まずは国内すべての動物病院が利用することを目指していきます。そして日本で十分に浸透させることができたなら、海外にも展開したいと考えています。
 こうした前人未踏の仕事は、マーケットリーダーがやらなければならない、という決意を持っています。いわば、共立製薬が自社のビジネスだけでなく、動物医療業界発展のためにやらなくてはいけない仕事だと思っています。動物医療業界、日本IBMそして当社は獣医療の「高位平準化」に向けて、挑戦し続けていきたいと思っています。
(取材・編集:木村剛士 構成:加藤学宏 撮影:竹井俊晴)