【猪瀬直樹】クリエーターとしての作家の誕生
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注目のコメント
〔新・追記〕万葉集の「初春令月、気淑風和」の出典は、支那の詩文集「文選(もんぜん)」の「仲春令月、時和気清」。1〜2世紀後漢の張衡「帰田賦」の漢詩。
ヨーロッパでラテン語が共通のテキストであるように、万葉集編纂の時代、「文選」が東アジアではテキストでした。日本固有とあまり強調しないほうがよいと思います。「日本」という場合、時代によって違いがあります。例えば三島由紀夫の「日本」は、近代につくられた表徴を指している。
新・追記は以上。
『令和』の出典 「四書五経」でなく「万葉集」 からでした。
時に、初春(しよしゆん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、
初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、
〔追記 〕
今回は、どのように「私」と「公」の葛藤が生まれたか。江戸時代の300諸侯から、一君万民の近代国家が誕生して、カントリーからネーションというグローバルな空間が成立するなかで、作家が誕生する過程を述べました。
元号が近代になって一世一元の制となったのも、初めて生まれた「公」の時間と空間に対応させるためでした。このコメントは、猪瀬さんの2001年の時のものとのことですが(実際に動画も見ました)まさにいま、その通りになっていますね。
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「1970年に三島由紀夫が自決して、これまでのあるかたちの作家像は終わったと思うのです。それはあくまでも、あるかたちということであって、ソフトを作る製作者、そういう意味での作家は終わってないと思うのです。古い意味での文士という狭い世界である必要はまったくないのです。
ゲームソフトのデザイナーであったりあるいはインターネットのコンテンツ制作者であったり、あるいはベンチャービジネスを起こす人であったり、携帯電話でいろんなネットワークを作って、新しいその携帯電話の画面を広くしてつくったり、いろんなことをやっていきます。
そのようなものも含めて、物語、生き方、ライフスタイルをつくっていくことが、新しい作家、広い意味での新しい作家の役割だというふうに思っています。新しいソフトを作るその担い手たち。そういう人たちによる新しい物語がいま求められていくように思います」明治早々の”投稿ブーム"を知識としていた人達には,
インターネットはさぞや簡単な演習だった事だろう.
カントリーからネーションへ拡張された世界に,
ネーションからグローバルに拡張された世界に,戸惑う人々は
同じく"投稿"を行い,自分を確認し,他人と連帯した.
フィジカルからバーチャルへ拡張される世界で,きっと戸惑う人々は,
きっと"投稿"を行い,自分を確認し,他人と連帯するだろう.
未来のようでそれは,過去を参照してコピーする繰り返しであるのか.