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徳川日本と李氏朝鮮、なにが運命を分けたのか 日韓関係ドン底の今こそ「都市交流」を活用せよ

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注目のコメント

  • 拓殖大学大学院修士、スマイルズ コーチング 代表

    流石に本職は面白い分析、
    韓国の元大統領は例外なく冷遇され逮捕されるが、民間の色彩強い李元大統領は大丈夫か、と思いましたが、、、やはり文大統領は、反対の立場の人間、政敵を徹底してやりますね、、、。

    舛添さんの言い分もわかりますが、日本は右傾化しているというのは疑問


  • 作家・ジャーナリスト

    1870年前後に、フランスと米国とを相手に「攘夷に成功」してしまった「洋擾事件」が、中長期的には大局観を誤らせた要因と思います。


  • 山川の高校日本史Bに「日韓両国民の歴史認識の相違」というコラムがあって、福沢諭吉が既に1882年の「時事新報」の社説に記していたことが書いてある。
    「韓人が日本人を恐れ、日本人を悪むこと甚し。その原因は文禄壬辰の役にあり。豊公朝鮮征伐の紀事はわが国に伝わるものと韓人の史記口碑に存ずるものとは大に異にして、彼の国人の云ふ所にては、当時日本軍人の惨虐なりしこと実に名状すべからず(以下、略)」

    舛添さんと同様に、福沢諭吉も日韓両国の歴史認識相違の溝の深さを嘆いていたわけですね。

    結局、福沢諭吉が期待した親日改革派が政権を追われ、福沢も堪忍袋の緒が切れたのか「脱亜入欧論」を発表し、日本がアジア分割論に傾く一翼を担ったことが日本による朝鮮の植民地支配に繋がったわけだが。


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