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作家の堺屋太一氏が死去 元経企庁長官、83歳

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    ジャーナリスト

    堺屋太一さんに初めて会ったのはまだ彼が通産官僚の時代だった。彼は大阪万博を企画し実現した人物で「油断」という小説は極め迫力があった。日本の経済を見る目は確かで、僕はとても信頼していた。


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    作家、日本維新の会・参院幹事長

    昼前に目覚めてテニスへ出かけようとしたところで、ネットのニュースで突然の訃報に接した。テニスの間中、堺屋さんのお顔が浮かんでは消え、消えては浮かんだ。世代は違うが、さまざまな局面で堺屋さんと同席した。最近は大阪府市特別顧問として同席、堺屋さんの大阪万博への情熱・執念は尋常でなく、文字通り口角泡を飛ばす場面が幾度もあった。だからこその誘致実現と感じている。もうあの姿が見られないのかと思うと無念の思いに駆られる、せめて2025まで生きて見届けてほしかった。
    衷心よりご冥福をお祈りします。


  • 静岡県立大学 特任教授

    私が「週刊現代」記者だった1976年、学生時代の友人の日経記者の紹介で知り合った。通産省工業技術院の課長(研究開発官)で、午後9時頃「出勤」、机の傍らには一升瓶があった。結婚を「スクープ」しようとしたら、「まだ伏せておきたい」と頼まれ、了解したこともあった。退職の半年ほど前、通産省幹部の女性職員同伴の欧州出張(1ヵ月)が「公務3日だけ」のカラ出張だと知り、その内部文書をもとに取材していたら、堺屋さんが講談社に現れて「出版社と付き合いのあるオレがリークしたと疑われるから、なんとかならないか」と言う。堺屋さんは1976年に講談社の月刊『現代』に『団塊の世代』を連載、講談社から単行本を出版したからだ。いまから思えば若気の至りで恥ずかしいかぎりだが、私は「こんな下らない話で出てくるな。高級官僚は天下国家のことをやっていればいいんだ」と堺屋さんを怒鳴りつけてしまった。怒るかと思いきや、堺屋さんは「あんたの言う通りや」とおだやかに返してきた。そして、間もなく退職。宮仕えの中で思うところがあったのだろう。以来、会合などで会うと頭が上がらないという思いを引きずってきた。合掌。


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