アメリカのリベラル著名人による「こんまり」批判騒動
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んーどうなんだろ。こんまりさんはアメリカ人でもなければアメリカ人を対象にビジネスしてた訳じゃないから、あのおばさんの主張は若干変やけど、アメリカにいる人はアメリカにいる以上英語を学ぶ努力をするのは当然では。
あの国に6年も住んで、米国は凄いなぁと心から思ったのは、誰でもアメリカ人になれたこと。黒人でもイスラム教徒でも、アメリカのアイディールを支持するだけでアメリカ人になれた。もちろん、差別が無いわけじゃないけど、何があろうとも、帰国子女だろうとも"ガイジン"の域を決して抜けられないどこかの国とは明確な差があった。何が言いたいかって別に多様性を否定したいわけじゃない。
でも少なくとも一つの共通言語を設定し、使用を推奨することは多様性の否定になるのか?相互に理解不能な集団が同じ空間でどれほどの長い年月生活しようともコミュニティーが混ざる筈がない、むしろ分断を深めるだけ。いろんな言語が国内で話されてていいし、むしろそれは強みになるだろうけど、共通言語として国語は全員理解すべきでしょう。
このリベラル著名人をめちゃめちゃに批判する声がここでも目立つけど、本当に批判してる人たちは日本国内で堂々とインドネシア語や中国語が使われ出した時に同じように振る舞うのだろうか?
注目のコメント
アメリカにしばらくいると、「何が差別発言か」というよりも「何ならば差別発言でないのか」がよくわからなくなってきます。気づかないうちに失言してしまうのを恐れてセンシティブな話題に触れられないこともしばしば。
気づかないうちにある差別意識、の話で大学時代のルームメイトが夏休み明けに教えてくれたエピソードをふと思い出しました。
アメリカ人の彼女が日本の某企業でインターンをしていた時、エレベーターの奥で立っていたら、「君、女子力ないね」と一言年配の男性社員に言われたそう。若手女子はエレベーターボタン前に立つのが普通である、という男女感覚がまず間違っているし、そもそも日本の謎の暗黙の了解のようなものをアメリカ人が知るはずもなく、彼女はかなりショックを受けたそう。後の経験からも、日本の男女平等度ランキングが低いのは当然だね、と言われました。
性別、国籍、年齢、人種、文化、見えないところに多数存在する「差別」ですが、日本の気づかないところで国際社会はその話題にかなり敏感になってきています。世界規模で戦うリーダーに今求められる必要スキルの1つはまず「差別とその背景を理解すること」であるのは間違いないでしょう。「もっと深刻な問題は、自分のツイートのどこが問題なのか、彼女がまったく気づいていないところにある」
その通りだと思います。
彼女の批判の背景が「アメリカで成功したいなら英語を話すべき。英語を一言も話さない外国人を成功させてしまうほどアメリカの国力は落ちたのか」という潜在意識にあるだろうことはすでに多くの方が指摘しているところですが、潜在意識であるがゆえに本人はその差別性に気づかない。このことは深刻な問題です。
ただ、こういう潜在意識はアメリカ人だけにあるものではなく、日本人も無縁ではないことは気に留めておきたい点です。「進歩的な知識人」が「差別に無自覚である」という点が、何ともやり切れなく、そこが騒動の本質だと思います。
私はボストンという街が苦手で、大学院を卒業してから数えるほどしか訪問していません。ボストンの「進歩的な知識人」たちから受けた人種差別の記憶が強く残っているからです。自分は差別されているという感覚は、ニューヨークやシカゴでは感じることはほとんどありません。アメリカの差別を解消してきた思想的な支柱を支えてきたのがボストンの街であることを考えると、何とも言えないやり切れなさを感じます。
そして、「進歩的な知識人」が差別に無自覚であるのであれば、恐らく、私たちもまた差別に無自覚であるはずで、そのことにもまた、やり切れなさを感じます。そして、それでもなお、人間の善いところを信じることができれば、と思います。