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「普段、みんなが考えている写真は、その“場”を切り取っていると思っているけれども、実は“光”を切り取っているんです」

以前、先輩に写真の見方を教わったことを思い出しました。
いわく、「感じたことを自由に言えばいい」と。

写真は、カメラマンのものの見方が表現されるから、その人が何を大切にしているか、どこに注目しているかがよくわかります。
そして、見る側の力によって、発見されることもあるし、見逃されることもある。
写真を通じて、落合陽一という人の視点を感じられるのは、おもしろいことですし、自分について気づく機会でもあるはず。
光フェチ
スマホ全員保有の今、
全ての人間が
写真家であり
フォトジャーナリストであり
パパラッチ。
でもほとんどの人が
自分がそうであることに気づかない。

落合さんは
むしろ不便なライカのマニュアルカメラ使い。
どう撮ってどう見せるかが
ものすごいメディア力を持つからこその道具。

その落合さんの写真論、実に面白いです。
写真を「観るトレーニング」と位置付けるの面白い!

教養をみにつける=物事をみる粒度を細かくすることだと考えると、写真の撮り方一つでも教養を磨くことができるのかもしれない。

光の振る舞いを観察する視点が面白い。


>こういうふうに、光がどんな振る舞いをしているんだろうと思いながら、対象物を撮るという行為はデッサンではおそらくできないはず。こうしたものを日々撮影しながら見返すだけで、なんだか楽しいですよ。
「撮りたいように好きに撮れば良い」とは思います。
ただし、自分が好きだと思う写真を、観る側が同じように受け取るとは限りません。

私個人は、落合さんの撮るモノクロには興味を惹かれますが、カラーはいまいちピンときません。ご本人も記事中で「暗い」と自覚されてますが、暗さに意味を見出せない。だけど、そう思うのも観る側の自由なわけです。

そういう自由さにさらされた時に「自分の写真はお前には分からないんだ」と切って捨てて自分の世界に閉じこもるのか、「どうやったら伝わるのだろうか」と洞察にのめり込むか。

「見る力」は「観られる力」を養うことでもあると感じます。
「光の気持ち」という表現は詩的で良いですね。
自分はコレを撮っているのだ、と言えるのは良いフォトグラファーだと思います。

なお僕は表面と界面を撮っています。バウンダリー好き。


落合さんは、よくある写真技巧的なナントカ構図などは一切使わないようなので、それによって撮影者本人の自己主張みたいなものが薄く、まるでそこに誰も居ないような雰囲気になってるのが良い感じだと思っています。

下手に3分割構図とかのよくある構図を使うと、「どう、この写真、いい感じでしょ?」という自己顕示欲みたいなのが透けて見えることがあるので(インスタの食べ物写真はほぼそれ、しかしその系統の写真がずらっと並んでるとそれはそれで芸術的ですが)、そういう写真技巧的な手段は使いたくないという気持ちはよく分かります。


気配がないと言いましたがお子さんの写真の時は真逆で、落合さんの気配をもの凄く感じます。「いいねえ」と言いながら笑った顔がレンジファインダー機ごしに半分見えているような場面が見えてくるようです。
パン野郎ちゃん可愛いですよね。こないだのオムツ野郎ちゃんも可愛らしい感じでした。おやつあげたい。いやそこはパンか。
その瞬間の空気をどう撮るか。その瞬間の空気がどう見えているかという意味で写真を見ると、写真って面白い。
仕事で必要なので一眼を買って以来、一眼と共に過ごして20年近くなります。
光を切り取るって、確かに楽しい。
Instagramを使うと、自分の見え方切り取り方と同じような視点で見ている人がいることが発見できるし、自分が見てなかった光を切り取っている人も発見できて、とても楽しい。
色々な見方を切り取れる楽しさと、それを発見できる楽しさがあります。
一眼出してこようかな。
落合さんが選んだ写真のような構成は僕も好きだなあ。
しんみり、しっとりとした質感が。

それにしてもあれだけ多忙な中でも、一瞬という一コマを切りとって写真に収めているのがスゴイ。写真を撮るってマインドフルネスの一種。

それが落合さんを支えているのもあるのかも、と思いを馳せてみたりする。
「見る力」連載2回目は、写真を撮る際に何を意識するか、実践編です。多くの人がスマホで写真を撮ると思いますが、このインタビューを読めば、写真を撮る際の考え方が変わるはず。