Amazon倉庫で働くイスラム教徒の「礼拝時間が取れない」との抗議を”甘え”だと思う理由
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筆者です。米国Amazon倉庫で起きたイスラム教徒の抗議。みなさんはどう思いますか?ご意見、お待ちしております。
(追記)
みなさま、ご覧いただきありがとうございます。
New York Timesや英国インディペンデント紙等のリンクとともに、
本文に以下の内容を追記しました。よかったらご覧ください。
・海外でのアザーンへの反応と政府の対応
・イスラム教徒の中にもアザーンを「騒音公害」と捉える人もいる
・アザーンの代用としてのWhatsapp活用
注目のコメント
信仰の自由、自由とは責任を伴う。同意します。
宗教を通じての生活習慣に乱れが生じる、ということであれば、許される環境を自分で選べば良いと思います。信仰へ真摯に活動したい、と会社を辞めた方がいます。貫きたいのなら、それで良いかと。
私自身は、特に信仰している宗教は、ありませんが
参考になれば幸いです。宗教関係なしに、1日5回の「休憩」が必要なら雇用契約を結ぶ際にそのような条件にすればいいわけですし、そうなっていない条件で契約を結ぶのなら、勤務時間中に祈ることで生産性が落ちた分は、その実績に応じた待遇となることを受け入れるしかない。
子育てをやっていると子どもの送り迎えとかで勤務を抜け出さなければならないこともありますので、それが可能な条件で仕事を探し、条件が合わなけれは契約しないなどの考え方と同じです。
雇う側も、個人の事情に応じて条件を柔軟に変え、幅広く受け入れるようにしたほうが全体のパフォーマンスが上がる場合もあるはずです。その一方で、一斉作業が必要な職場など、事業内容の都合で条件を統一せざるを得ないのなら、それもありうる話だし、条件に合致しない労働者は契約しないようにするしかありません。