【上野千鶴子】50年前にも「#MeToo」はあった。闘ってきた女たち

2019/1/5
2018年12月18日、ジェンダーギャップ指数が発表され、日本は149カ国中110位となった。
また2018年は、女性の人権に関する事件が数多くあった年だった。
東京医科大学などの不正入試により、女性の受験者が不利な状況に立たされていたと分かった。また、財務省の元事務次官や、元みなかみ町長、元早稲田大学文学学術院教授などがセクハラで告発された。
そうした中、ジェンダーに関する議論は白熱している。
「女性医師はすぐに辞めてしまう。だから、医学部の入試などで女性差別が起きるのは仕方がない」
「管理職に女性が少ないのは、女性が昇進を望んでいないからだ」
「セクハラの被害者にも悪い部分がある」
しかし、思い込みや感情で議論することに、何の意味があるのだろうか。
社会学や女性学では、こうした出来事について、客観的な研究が重ねられてきた。
そこで、NewsPicks編集部は、女性学、ジェンダー研究のパイオニアとして、長年にわたり日本を見守ってきた上野千鶴子氏に、2018年以前を振り返ってもらいつつ、2019年の日本に必要な「処方箋」を聞いた。
前編は、18世紀のフランス革命から2018年にかけて、女性の権利向上運動の変遷を追い、2017年から盛り上がっている#MeToo運動の歴史的位置づけを考える。

裏切られた革命

──2018年は、女性の人権に関する出来事が数多くあった中、抗議運動も多々見られました。歴史上、最初に女性の権利が主張されたのはいつなのでしょうか。
そんなに昔から話すのですか?
上野千鶴子(うえの・ちづこ)/社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長
1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程を修了後、平安女学院短期大学助教授、シカゴ大学人類学部客員研究員、京都精華大学助教授、メキシコ大学院大学客員教授等を経る。1993年に東京大学文学部助教授(社会学)、1995年から2011年3月まで、東京大学大学院人文社会系研究科教授。2011年度から2016年度まで、立命館大学特別招聘教授。2011年4月から認定NPO法人WAN理事長。 専門は女性学、ジェンダー研究。近年は、高齢者の介護とケアの分野に研究領域を拡大。
歴史上、最初に女性の権利向上のためのマニフェストが出されたのは、1789年のフランス革命の直後です。
この革命の後、有名な「人権宣言」が出されました。しかしこの「人権宣言」は、女性や労働者、農民、外国人の権利を保障しませんでした。「人権宣言」の文章には、「男にして市民である者の権利」と明記されています。
フランス語で、「人権宣言」は「Déclaration des Droits de l'Homme et du Citoyen」と言います。「Homme」は「男」、「Citoyen」は「男性の市民」という意味なので、これを日本語に翻訳するなら、「男権宣言」とすべきです。それなのに、日本では、「人権宣言」と訳されてしまいました。