本質を理解させたければわざと「失敗」させよ 日本にはびこる「失敗恐怖症」からの脱却を
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失敗して自分で気づくことがいかに重要か
できることばかりやっていると、精神的に落ち着きはするが、
人間的な成長はない
未知なものからは人間みんな逃げたくなるけれど、
あえてそこに立ち向かって試行錯誤していくことで強くなる
改めてそんなことを考え直した記事だった
注目のコメント
失敗するなら本気の失敗を!
「欲求>努力>喜び」サイクルが、本質を学び成長する力を生む。
欲求:答えを知りたい
努力:調べる>分からない(失敗)>また調べる(再挑戦)
喜び:答えがわかって大喜び>さらに学ぼうとする
このサイクルで、子どもは楽しくなり、自主的に学びだす。大人もこうやって成長できます。
本気でやりたいことを失敗しないと、再挑戦する意欲につながらない。また、教えてもらったり、簡単に手にしたものは大して嬉しくない。それを認識することも大事。面白い内容だったので本文全部読んでしまいました。
ただ、子供の教育と大人社会での指導がちょっと違うな、と思ったのは、大人社会では先生役にあたる指導役が「答え」を知ってることはそう多くない点ですかね。
大人の社会では0/1の正解と不正解ではなく、0.46や0.82のような0と1の間で必ずしも正解と言えないが正解に最もふさわしいと思われる選択肢を探さざるを得ないことだらけです。
そもそも指導役が間違った思い込みや政治的意図で明らかに不正な答えを「正解」であるとして強制するケースも多々あります。
失敗恐怖症が日本にはこびっているのは、指導役の人間が正しい答えを示してくれない、説明する能力がない、間違った答えを強制し説明を求めても威圧して議論を許さない、等の経験を通じた諦めのような感情に近いのではないでしょうか。
「(指導役は)どうせ適当なこと言ってるだけなんだから、下手に意見して面倒起こすより、言われたとおりやって失敗のリスク負わないほうがよっぽど良い」
みたいな。「教えない」指導が、自主的な学びに繋がる。
親の立場としては、 「ふむふむ、そりゃそうだ」と深く納得。
上司の立場としては、「そんな時間ないよ。。」 と及び腰。
家庭でも職場でも、心の余裕がないとですね。