経営者と監査法人の在り方
コメント
注目のコメント
これも監査業界では古くからある議論で、上場会社から監査税のような形で共同費用を徴収し、いったんプールして国や取引所などの公正な第三者機関が監査法人を任命し監査報酬を決定すればよいんですよね。
私情を挟まないよう、ちゃんと厳しい監査をするよう、会計士試験の受験時代から散々教育されてはいますが、お金をくれるお客さんに対して本当に厳しい監査はできないこともある、でしょうそりゃ。
では、実際にそういった制度大改革をやろうという人がいたとして、誰が賛同し、誰が出資して誰が活動を支援し、誰がルールを変えるか、というと、もうそれは国か取引所しかないわけで、じゃあそれをやるインセンティブが国か取引所にあるかというとそれは構造的に難しいでしょうね実際。
そう考えると、本当に監査がちゃんと行われることについて、世の中の誰も自腹切ってまで期待していないともいえるのかなあと思ったりして、職業柄(自分は監査やりませんが)、切なくなりますね。
あとは公認会計士協会ぐらいでしょうか主導できるのは。ただ、会計士協会のお偉い方々も、個々人で大手監査法人所属だったりするので、難しいでしょうね。
こうやって昔々から解決されず放置されているのがこの論点で、流行りのAIやブロックチェーンでも解決できそうのない政治的、構造的問題なんでしょうね。経営者への厳罰化には賛成です。また、これはすこし突飛な発想かもしれないですが、上場企業であっても会計監査は任意にすればよいと思います。
経営者への厳罰化については、経営者などの権力ある人に共謀されたら監査法人での不正発見は相当困難です。厳罰化は当然、不正のインセンティブを下げるでしょう。
また、会計監査の任意化ですが、そもそも監査の成り立ちは大航海時代まで遡り、その時に監査は自然に制度としてできました。数字に信頼の置ける貿易船にお金が拠出されるからです。
本来は、会社が資金調達するために適正な財務諸表を継続的に開示すると株主(および投資家)に約束し、その「適正な」という約束を担保するために監査法人に監査を頼んでいるわけで、監査法人が監査してくれなかったら円滑な資金調達ができない、というのが制度の根幹です。しかし、法定監査となると、法律で決まってるから仕方ないという意識の経営者もいると思います。
「別に監査法人に頼まなくてもちゃんと自分たちで適正な財務諸表作るための仕組みづくりから人員配置までできるし、経営者による会社の私物化も不正も起こらないし、それを数多多くの他人(投資家)に証明できる」と自身のある会社は、監査なんか頼まなければいいのだと思います。
逆に、任意でも監査法人に頼んでるということは、それだけの自信がないけどちゃんと監査やってほしい、という意識の顕示でありますが、経営者には「ちゃんと監査してほしい」という感覚がうまれるので、監査を単なるコストではなく、サービスの提供と捉えると思います。
そのうち、「監査法人をつけなかったら不正・誤謬のオンパレードが発覚した会社」と、「誰も監査を引き受けてくれない会社のための駆け込み寺的な会計事務所」は、自然淘汰されていくではないでしょうか。経営者によって会計監査に対する認識の違いがあるのは、その通りです。
会計監査の重要性を理解していただいている場合、とても協力的に対応していただけます。
その分、監査の品質に関する要求水準が非常に高くなって、それはそれでとても大変なのですが、やりがいがあります。
その為、監査法人のリスクコントロールとして一番大事なのは、「経営者の考え方」と言われてます。
社長の考え方。
ここに書かれている通り、社長が本気出して粉飾決算スキーム組まれたら、捜査権や反面調査権のない監査法人では、
不正の発見が困難になります。違和感を感じても、しっぽをつかめない。
なので、不正をしようとしない社長の会社とだけ監査契約を結ぶのが最大のリスクヘッジなのです。
監査法人(特にパートナー)に強く求められるのは、この感性だったりするようです。
あと、不正を防ぐには、厳罰化が良いというのは、私も同感です。
日本の場合、行政罰(課徴金制度)ぐらいしか機能してません。
社会罰(上場廃止)は影響が大きすぎて、いち民間会社(JPX)がその大鉈をふるうのはむつかしい。
また、課徴金制度は会社の財布が痛むだけで、社長個人は謝罪だけで終わることもあります。
民事罰(損害賠償請求)も、中身の詳細を知らない社外の人間で追求するには限界があります。
やはり、社長を始めとする経営層に対する刑事罰を強化すべきです。
粉飾決算して実刑を受けた経営者って、近年では堀江氏ぐらいしかいないの、おかしすぎです。