理解しがたい他者へは、理解しようと努力するより、関わらないほうがお互いに幸せだ。
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コメント
注目のコメント
こういう論考は真摯で好きです。
でも、そもそも理解できると思うことが傲慢なんだよね。相手の立場にはなれないんだから、本当の意味で「理解」なんてできないわけです。できることは「知る」ことだけ。知ったからって理解したとは思わないという謙虚さが一番大事かな、と。
この人は、理解しがたい他者と将来自分が共存する、乃至はしなければならないという状況を想像してないように思う。そして、無関心が長期的にどんな差別を生むか、ということを天秤の上にかけていない。私は社会問題の当事者の人に会いに行く仕事をしているし、彼らに寄り添いたいけど、当然その中には理解しがたいなと思う人も沢山いる。
それでいいのだ。私も人間。その人も人間。合う合わないは当然ある。それでも知るのだ。知らないと、将来お互いがもっと傷つく事になるし、自分が快適ということは、誰かが不快な可能性は高いのだ。もっと言えば、私はその人を救いたいのではなく、その人が苦しんでいる事象をなんとかしたいだけだ。
私の好きな言葉にホラティウスの「sapere aude」という言葉がある。「(嫌なことがあるかもしれないが)あえて知る勇気を持て」という意味合いだ。ぜひこの記事の著者にも贈りたい。ビーガンの方などを見ていても、そう思うときがあります。
ビーガンの方が肉を食べないことをこちらは尊重しているし、個人の自由だと思うけど、ビーガンの方はこちらが肉を食べることに対して非難・攻撃してくることがあります。
なんだかなあ、と思います。