【白川方明】リーマン危機の時、世界は本当に「崩壊寸前」だった

2018/10/23
遂に5年半の“沈黙”を破った。
「通貨の番人」日本銀行において、激動の5年間、トップを務めた白川方明(しらかわ・まさあき)氏、69歳。
日銀総裁を務めたのは、2008年4月〜2013年3月だ。任期中、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災(3.11)、2回の政権交代という多難を経験したことになる。
2013年3月、退任会見に臨んだ白川方明・前日銀総裁(写真:Bloomberg / GettyImages)
その間、白川体制下の日銀は、大規模な金融緩和に消極的であると批判され続け、日本が長らくデフレ(物価の継続的な下落)から脱却できないのもそのためだ、と糾弾された。
さらに、後任となった元財務官の黒田東彦・現総裁は、就任するや否や「黒田バズーカ」と呼ばれる、大規模な金融緩和策を実施。
その効果は絶大だった。サプライズに歓喜した株式市場は大いに沸き、いよいよ白川前総裁は窮地に立たされてゆく。「やはり彼が間違っていたのだ」と。
それまで「白川派」だった日銀執行部も「黒田派」へと変わり、「“白”から“黒”へ、日銀のオセロはひっくり返った」(日銀幹部)と日銀内で囁かれたほどだ。
こうした風潮に物を申すことなく、白川前総裁は、決して公の場で口を開いてこなかった。現体制を率いる日銀の後輩たちに迷惑をかけまい、という思いもあっただろう。
しかし、退任から5年半が経った今、白川前総裁の評価は見直されつつある。
(写真:Bloomberg / GettyImages)
それもそのはず。当初は「2年で物価2%の目標を達成する」と豪語した黒田日銀は、今もそれを達成できていないのだから。
そうした中、今年10月、遂に白川前総裁が動いた。
『中央銀行: セントラルバンカーの経験した39年』と題した著作を上梓。さらに10月22日、退任後初めて、日本記者クラブという公の場で口を開いたのだ。
「日本の公的組織のトップが、引退後に多くを語らないというのは、伝統的な美学でもあった」として、マスコミの取材も一切断ってきたと明かした白川前総裁。
NewsPicks編集部は、講演の現場に足を運んだ。世界で初めて「量的緩和」という未知の領域に足を踏み入れ、その実務をこなした稀代のセントラルバンカーが初めて語った「激動の5年」。
丁寧に解きほぐして、前編・後編の2回にわたりお届けしよう。

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