医療という「市場」で、顧客である患者に本当の自由はない
コメント
選択しているユーザー
必要な医療を必要な人に。これが理想ですが、医療が市場化された世界ではそれがいかに難しいか。英国でGP(家庭診療医)として働く澤憲明さんが解説しています。患者に必要な医療でなく、患者が満足する医療を与える傾向が強くなる、という指摘です。
注目のコメント
NPの皆様にとっては既知の内容ですが、理論立てて上手く解説されていると思います。
(記事より抜粋)結果としては適切なサポートなしに真に自由な選択はできない、という制限がかかっているのです。
炎上覚悟(は出来てませんが...)で少し極論します。
(昨今、取り上げられることの多い)医療リテラシーが高まれば、患者は賢く各種医療サービスを選択出来て、自己の意思に基づくベストな医療の提供が受けられる...は幻想だと思います。
医療サービス(検査や治療など)の何が今の自分の病態に必要なのか、それを正確に自己判断するなど非医療従事者には出来ないと思います。さらに言えば、高齢となったときのその判断は医学的側面だけでなく、そこには個人の死生観の成熟も求められるので、そもそも答えの出ないような場面もあります。そういうときでも現実は判断に迫られます。
記事より抜粋したように、私も「適切なサポート」というものがこれからはとても大切になってくると思います。ところが、医者も正直に言っていろいろです。。。
これからの未来社会に生きて、医療を賢く利用していくのには、信頼出来て親身になってくれる医師・医療従事者とのつながりを一人一人が持つことがとても大切になると思います。
(追記)私が医師だから上記のように言っているのではありません。自分も20年後くらいにはそのとき信頼出来る医師とのつながりを持ってないと...と思ってます。自分が今持つ医療知識・経験は全く役に立たないでしょうから。患者さんに本当の意味で病状を理解していただくのは無理と、残念ながらいつも感じています。
つくづく人間は感情の生きもので、どんなに論理的な思考の持ち主に理知整然とお話ししても、半分も正しく理解できてないというのが本当のところではないでしょうか。特に生死がかかった病気では冷静になれないのも無理もないこととは思っていますが。。
では、どうするべきか。
やはり信頼できる家庭医を持つことだと思います。そして信頼するとは、何があっても任せるぐらいの覚悟を持つことです。
まぁ信頼できる医師を探すことがむずかしいのですけどね。。患者が満足する医療というのは、
例えば自己治癒で治っていくようなものであるなら、
逆に心身を安心させてくれる、
患者の心に寄り添ってくれるドクターは必要なので、
なくしてはいけないもの。
しかし一方で、患者が自由であるために、
ある程度の心身の知恵と知識は、全ての人に必要であると思う。そして、医療に対しても顧客目線ではなく、主体性を持って、"医療をうまく使いこなす"術を身につけるべきだ。