【最終回】死を避ける時代から、人生をデザインする時代へ
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注目のコメント
ついに最終回ですか。
なかなか厳しい言葉も多かったこの連載ですが、私は嫌いではありませんでした。
何故なら、哲学者としての考え方を感じれたからです。
あくまで私の考えですが、哲学者とは「一般的にはこうだろう」ということとは別の角度から物事を考えようとし、「でも実はこうでは?」という新たな示唆を提示することによって真実に近づこうとするものだと思うのです。
「提議すること」が第一で、そこに至る理論は二の次なのではないか?とすら思っているくらいです。
わかりやすい例で言えば、ソクラテスの名言、「悪法も、また法なり」は「Aはまた not A」という対比構造を使いながら、その対比構造の中から真実を追求する姿勢を求めるているに過ぎません。
たしかに今回の連載にはツッコミどころが多くあるように思いますが、私にとっては「え、そんな風に考えるん?」とか「さすがにそれは言い過ぎ」というように感じれたことは、無駄ではないと感じています。
少なくとも、実業家が得意げに持論を展開する「さぁこれで皆さんもアップデートできますよ」的な押し付け記事よりいいとすら思っています。(注:その持論が的を射ている場合は別)
私にはこんな思い切った考えは持てないし、持てたとしても記事に書くほどの勇気はありません。
文章の後半で「大病を患った」と書かれておりますが、お身体の調子はいかがですか?
無理せず、お大事になさってください。
連載、お疲れ様でした。「テクノロジーの公共哲学」連載、今回で最終回を迎えます。
短い期間でしたが、連載自体に4000人を超えるフォロワーの方々がついてくださったことは望外の喜びです。
お読みくださった皆様、有難うございました。"今や死は避けるものではなく、選ぶものになろうとしている"
確かにそのとおりだなと。
死は"間接体験"で、死を考えることが、生を考えることになると思っています。毎回同じ結論だとしても、繰り返し振り返ることで、日々を大切に、よりよく生きたいです。