創業者の夢は「都心暮らしを一般人の手の届くものに」

サンカルシャン・ムルティはこれまでに、アップル・ウォッチやテスラの電気自動車「モデルY」といったヒット商品の開発に関わってきた。ドローンを使って建設現場に革新をもたらそうとしたこともあれば、労働者の肉体的な負担を軽減するために体に装着するロボット機器のプロジェクトに関わったこともある。
そんな彼が初めて立ち上げた新興企業のアイディアの元になったのは、なんと子ども向け番組の「ミッキーマウス・クラブハウス」だった。
「ミッキーマウス・クラブハウス」は、ムルティ一家がカリフォルニア州マウンテンビュー中心部の密集地に住んでいた頃、まだ生後18カ月だった娘が大好きだった番組だ。
技術者として電気工具メーカー大手ブラック&デッカーで働いていたムルフィは、2012年にアップルからの誘いを受けてメリーランド州ボルチモアからシリコンバレーのマウンテンビューに引っ越してきた。
マウンテンビューを含むサンフランシスコ・ベイエリアの不動産相場は高く、ムルティ一家はボルチモア時代より狭い家に暮らすことを余儀なくされた。
何を倉庫に預けるかをめぐり、夫婦で言い争いもした(ムルティはこれまでに関わった製品の試作品をそばに置きたいと思ったが妻は反対した)。両親がインドから訪ねてきた際も、狭いせいで家に泊めることができなかった。
娘と「ミッキーマウス・クラブハウス」を見ていて、ムルティは形が変えられるミッキーの家具をうらやましく思った。
「ミッキーが友達を楽しませたいと思ったら、家はクラブハウスモードになる」とムルティは語った。「グーフィーが料理をしたくなったらキッチンに変わる。地下にはロボットがいて、せっせと注文に応じている」
もしムルティがそんな家に住んでいたなら、両親を客間(来客がない時は子どもたちの遊び部屋になる)に泊めることもできただろう。「ミッキーのクラブハウスを作るぞと私は決意した」とムルティは言う。

面積で家の広さを測る時代は終わった

ムルティの会社バンブルビー・スペーシズが正式に立ち上がったのは昨年のこと。バンブルビーが手がけるのは、ロボット工学と人工知能(AI)を駆使して、天井に設置した収納モジュールを必要に応じて上げたり下げたりすることで室内の利用可能スペースを2~3倍にするという収納システムだ。
夜はスマートフォンや壁に付けたiPadのアプリに寝たいことを知らせると、天井からベッドが降りてくる。朝になるとベッドは上に格納され、ヨガマットが降りてくる。仕事の時間になればヨガマットは上に、代わってデスクが降りてくる。
「ちょっと寒いなあ。グレーのカーディガンを出してくれる?」といったことも可能になる。その時に必要なものを必要なだけ出しておく「カンバン方式」の生活だ。
「不動産の物件を見る基準が面積ではなく体積になる」とムルティは言う。「みんな、使ってもいない周りの空間や天井のスペースについても賃料を払っている。私たちはそれを使えるようにしてあげようというわけだ」
バンブルビーがまず狙っているのは、新たに建設する物件にこの収納システムを設置しようという不動産オーナーや業者への売り込みだ。既存の部屋に取り付けることも可能だが、新規物件であればクロゼットやキャビネットといった収納スペースを床の上に作らないですむ分、より大きな利益を手にできる。
これまでにバンブルビーは集合住宅と社宅、コリビング(シェアハウスの一種)用の物件の3件で収納システムの設置を受注した。当面は生産に並行して技術面とデザイン面で完成度を上げ、2019年半ばからは大量生産に移る予定だという。
バンブルビーは複数の投資家から、創業資金として4300万ドルの出資を受けた。出資者には、AIやロボット工学などのテクノロジー関連に特化したベンチャーキャピタル企業ループ・ベンチャーズ(ミネソタ州ミネアポリス)も含まれる。
ループのマネージングパートナーであるジーン・マンスターは、開発業者にバンブルビーのコンセプトを知らしめるためには数百ユニットを市場に投入しなければならないと語る。
そうなったあかつきには「(バンブルビーは)住宅のあり方を根本から変えることができる」とマンスターは言う。時とともにバンブルビーの天井収納システムは「クローゼット並みに標準的な存在となるだろう。これが欲しくならないはずがない」。

アップルやテスラで磨かれた「商品開発の才」

ムルティはインドでの学生時代、2つの事業を立ち上げた。高校時代からコンピューターを組み立てて販売するビジネスを手がけ、大学時代にはウェブデザインのほうがさらに儲かることに目を付けた。
副業にかまけて勉強がおろそかになり、半期留年(彼によればインドではたいへんなタブー)するはめになったこともあるが、彼はその時間を使って米国留学のための試験勉強に励んだ。そして2003年、ムルティはアメリカに渡った。
メリーランド大学とペンシルベニア大学経営大学院で学んだ後、ムルティはテクノロジー業界の起業家としての「修行」を始めることになる。
ブラック&デッカーのデウォルト事業部ではギアとモーターについて、そしてオンボード技術やリーダーシップ育成について学んだ。アップルではiPhone 5cに続きアップル・ウォッチを担当し、ユーザーエクスペリエンスや徹底的に細部に目を向けることに対する同社のこだわりをたたき込まれた。
テスラではモデル3やモデルYを担当し、無数の変更を組み立てラインに反映させる能力に感銘を受けた。また、特別プロジェクトチームに配属された際には「世界を変えよう」というイーロン・マスクCEOの野心にも触発された。
「彼はいかれたアイディアを出してきては『これは可能か? 調べてこい』と言ったものだ」とムルティは言う。
ムルティがロボット工学を使った収納システムの試作に取りかかったのはテスラにいる時だった。「テスラで働くと自分の生活を奪われてしまうから、これはデトックスみたいなものだった」と彼は言う。
ハードウエアを担当する共同創業者のギャレット・レイナーもテスラ出身。2人は目の玉が飛び出るような住宅費や通勤地獄の話で意気投合した。
ムルティは当初、「上から降りてきてプライベート空間を作る壁」を構想していた。「家というのは物があちこちで積み上がっていて当たり前というのが当時の認識だった」と彼は言う。だが、「靴がなくなれば、もっと場所を広く使えるのに」という天井からの声が聞こえたのだという。
湯を作るヒーターや重たいシャンデリアだって天井に取り付けられるのだから「(建築関連の)法規の範囲内であれば、アップル・ウォッチみたいにぎゅっと詰め込む設計ができるはずだ」と彼は言う。

欲しい時に欲しいものがすぐ出てくる

だが単にものを詰め込むだけではだめで、スマート収納をどう実現するかがムルティとレイナーの課題だった。天井収納にしまった茶色の水玉模様のブラウスを、いつでも音声命令ひとつで取り出せる──それがムルティの構想だった。
それには、ミッキーマウス・クラブハウスのロボットに代わるソフトウエアを作らなければならない。そこで彼は、経営大学院時代の友人プララド・アトレヤを3人目の共同創業者として引き込んだ。
アトレヤはAIの専門家アーロン・リカタの力も借り、天井のロボットを収納モジュールの周りで動かし、図書館の貸し出しカウンター的な役割を果たすように指令する技術を開発。AIを使って収納するものを識別してタグ付けし、出し入れを追跡して記録を取るというシステムができあがった。
「『この赤いホチキスは、サンカルシャンが水曜日の朝11時にしまいました』と教えてくれるわけだ。つまり次にホチキスが必要な時は上から降りてくるということだ」とムルティは言う。収納モジュールは本棚やたんす、おもちゃ箱に電子機器のコンテナなど、ユーザーが必要とする用途に合わせてカスタマイズ可能だ。
また、バンブルビーはシステムのさらなるスマート化を推し進めている。たとえば集合住宅であれば、持ち物のリストを近所の人と共有し、お互いに貸し借りしやすくするオプションを用意できる日は近いかもしれない。
音声コマンドどころか、指さしだけでモジュールを操作することもできるようになるだろう。ちなみにモジュールには安全センサーがついていて、子どもやペットの上に誤って降下することがないようになっている。
世界各地の博物館や高層ビル、ホテルなどを手がけてきた建築事務所オルソン・クンディグ(シアトル)は今、バンブルビーと組んでカリフォルニア州ナパの個人宅を手がけている。
施主は家族それぞれの競合するニーズに困っていた。そこでオルソン・クンディグは1棟の家ではなく、バンブルビーのシステムつきの小さなテントのような家の集合体を提案した(バンブルビーとは関係のない理由により、このプロジェクトは一時的に中断している)。
「伝統的に私たち(建築家)はある程度の柔軟性を(家に)持たせようとするものだが、これはその極端な例で、家族が進化し好みも変わっていくのに合わせてスペースをカスタマイズできるようにするというものだ」と、オルソン・クンディグの主任建築士クリス・ゲリックは言う。
同社ではさまざまな人に使ってもらえるよう、この収納システムの住居以外の施設への応用をバンブルビーとともに検討している。
「たとえば高い棚に置かれた収納ユニットが、車椅子の人にも使いやすい高さまで降りてくるといったものだ」とゲリックは言う。「こういうものをバンブルビーと作っていきたいと考えている」

部品調達は欧州、中国、日本各国から

バンブルビーの従業員は現在8人。本社はサンフランシスコのドッグパッチ地区の約57平米のオフィス兼作業場だ。
部品調達については、センサーは欧州から、機械部品は中国から、モータートランスミッションは日本からという具合に世界各国から行っている。
バンブルビーの仕様に合わせて30センチ超の深さのスペースに収容できる家具を製造しているのは地元の業者だ。これまでにベッドやドレッサー、それに壁に取り付ける机の試作品を作っているが、もう少し深いスペースを必要とする機器もラインナップに加えるかも知れない。
「ソファやコーヒーテーブルは扱わない。室内装飾品の部類に入るからだ」とムルフィは言う。「うちで扱うのは、みんなが片付けてしまいたいと思うようなものだ」
生産が拡大すれば、新たな顧客も増えて既存のアパートなどへの設置も拡大するとムルティは考えている。収納モジュールや家具の価格は1部屋あたり6000~1万ドルだ。
顧客はメンテナンスやソフトウエアアップデートなどのサービスの対価として、バンブルビーに対し月々199~399ドルを支払う。規模が大きくなれば、設置は外部の業者に委託し、自社で行うのは顧客ごとの品質保証チェックということになるだろう。
必要なのはテクノロジー分野の才能がある人材だし、新興企業が取れる専門職向けのH1-Bビザの数には限りがある。従って高い給料を払わないわけにはいかず、必要なスタッフをそろえるのには苦労を伴う。新奇な製品に特有の学習曲線の問題もある。
「初めて耳にしたものは、とっぴで今現在の生活様式には合わないように聞こえるものだ」とムルティは言う。「私たちはユーザーの行動のあり方を変えていかなければならない」
平均的な市民には手の届かないものになろうとしている都心部での生活を、ムルティはバンブルビーの力で持続可能にしたいという壮大な夢を抱いている。1200万世帯が収入の半分以上を住宅費に費やしているという現状を受け、彼は「不動産を最大限に活用できるようにならなければ」と語る。
ムルティは、収納システムの導入は家を借りる側にとって金銭的な利益につながると主張する。バンブルビーの収納ユニットを使えば、寝室が1つしかないアパートもファミリー向けの寝室2つのアパートになる。従来型の2寝室のアパートに手が届かない家庭でも借りることができ、賃貸市場に新たな選択肢を提供することになるからだ。
また、「都会の生活(空間)と手に入れやすさを拡大するというわが社のミッションに同調してくれる取引相手を探している」とムルティは言う。
「これまで人は4面の壁に加え、床を5つ目の壁のように使ってきた」とムルティは言う。「6つ目の壁は天井だ。6つ目の壁を生かしたい」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Leigh Buchanan/Editor-at-large, Inc. magazine、翻訳:村井裕美、写真:rashch/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.