終末期医療:延命中止、意思確認に力点 自民、新法検討
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超高齢者が、末期癌や老衰によって回復の見込みがない状態にあり、意識はなくただ呼吸と循環だけが(各種医療行為によって)保たれている。このような状況でいたずらに「呼吸と循環」だけを延長させるのに意味を見出だせる(それでも生命を継続して欲しい理由がある)人、家族は5%未満と思いますが、私はそれを否定する気持ちはありません。
難しいのは…超高齢者でもなく、末期がんや老衰でもなく、回復の見込みがまったくないかと問われると可能性は低いけどゼロではない。そのような状態において、呼吸と循環を保つ医療行為に全力を尽くすのか…です。実臨床の場では、「○○まではやってほしいけどXXまではやらなくていい」みたいな中途半端とも言える結論に落ち着くケースを内科などで時々見かけます。私の専門とする心臓血管外科などは、命を救うために大手術しているのでそういったケースは少なく0か100かで中途半端にはなりにくい特徴があります。
高齢者で回復の見込みが微妙な癌ではないケース。癌以外とは、主に肺炎、脳梗塞(出血)、心疾患です。これら疾患を担当する医師は、延命中止を決める大きな要素である「回復の見込み」を見極めなければなりません。
間違っている可能性も十二分にありますがNPなので踏み込んで答えます。
現在の臨床現場では、90歳以上、回復の見込み10%以下なら積極的な医療介入はどの医師も否定的だと思います。それを、80歳以上、30%以下まで踏み込めたら、一般的に延命治療に見えるような医療行為は相当数減ると思います。
答えや方向性を言っているのではありません。健康寿命は延びているし、医療も進歩しています。なにより死生観は本人(譲って家族)に帰属します。命あることを尊び、これまで生きてきた患者さんの人生に敬意を払い、本人・家族の意思を第一に考え、日本社会のコンセンサスを得られる。ベストを目指して結論はベターでも良いので議論を尽くしていただけたらと思います。私は直系の家族の最後をこれまで全て立ち会ってきましたが、本人の意思に基づく延命中止でないと残された家族の心情もスッキリしないと思います(私の場合はいずれも本人の意思がありましたので納得できました)。現場の負担が増えるとは思いますが、より良い意思確認の手続きが望ましいのでしょう。
(世の中、休日ですが)今日も現場でこの問題に向き合っている立場から
『情報の非対称』『奇跡ばかりを報じるマスコミ、医療ドラマからくる幻想』が議論が噛み合わない根底にある。まずは皆さんに医療機関から『リアルを伝える』必要がある。わかりやすい映像教材などほしい。