【小山薫堂】人は最良の人生を選択しながら生きている

2018/9/11

偶然が重なり日大芸術学部に進学

僕が日大芸術学部放送学科に入ったきっかけは、偶然に偶然が重なった結果です。
実は、「合格したらソアラを買ってやるから」という父のひと言に釣られて、防衛大学校を受験したんです。
ソアラというのは、1981年にトヨタが売り出した高級スポーツクーペです。防衛大学校は入学金と授業料がかからない。私立大に進んでかかる費用を考えたら、車を買ったとしても安上がり。
それに防衛大を出れば職にあぶれることもないし、4年間で精神的にも肉体的にもたくましくなる、と父は考えたのではないでしょうか。
僕はというと、特別入りたい大学がなかったし、ソアラに乗りたくて、防衛大を受験しました。ところが結果は不合格! 国立大学も受けようと思っていたんですが、こちらは共通一次試験の成績が悪かった。
どうしようかと思案していると、寮の友人のヒラタ君が「1校くらい私立を受けておいたら」と、日大芸術学部の願書を一式くれたんです。彼は将来映画監督になるために日芸の映画学科を志望していて、「それ以外の学科の願書なら余っているから」と。
願書を見ると、美術や文芸と並んで放送学科というのがありました。「放送って何?」とヒラタ君に聞くと「テレビ番組とかつくるらしいよ」という。
テレビを見るのは好きだったので受けてみたら、女優さんの誕生とかでよくある話ですが、ヒラタ君は一次試験で落ち、僕は受かってしまったんです。
しかも二次試験の面接で、ササイさんという目のさめるような美女とも出会ってしまった(笑)。日芸の当時の倍率は確か43倍くらいだったのですが、僕もササイさんも合格したんですね。
それで、京都の同志社大学も受かっていたのですが、ササイさんと付き合うんだ!という一心で、迷わず日芸に入学しました(結局、お付き合いはかなわなかったのですが)。
その後、僕は放送の勉強をして、テレビの世界に入ることになり、いまに至るわけです。
もし日芸に入っていなければ?
……たぶん同志社に入学し、卒業後は天草に戻って実家の事業を継いでいたでしょうね。つまり、ヒラタ君がくれた余った願書と、ササイさんとの出会いが、僕の道を決めたというところがあるんです。

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