【新】『ハゲタカ』真山仁、正論で社会を斬る小説家人生

2018/9/29
私は高校生のときに小説家になると決めました。
大学卒業後、新聞記者、フリーライターの仕事をするかたわら、懸賞小説に投稿していましたが、デビューには至らないまま40歳になろうとしていました。
私が『ハゲタカ』で描きたかったのは、金融の話でも経済の話でもありません。お金に対する人間の欲望に勝てず、振り回されるという物語です。
私の経歴は平凡なものです。大阪府堺市のごく普通の家庭に生まれて、地元の公立小学校・中学校に進みました。高校は公立高校の受験に失敗して、私立に進みましたが、1年浪人をして同志社大学法学部に入学しました。
その一方で、私は「平凡な子ども」ではありませんでした。
ジャーナリズムというのは、どんなに素晴らしい記事を書いても、もともと問題意識のある人にしか届かないから、広がらない。
エンターテインメントの中でジャーナリズムをやらなければだめだと思いました。
新聞記者になって10年間修業する。そこで、小説家としての技術を会得し、満を持して小説家デビューする──その計画は、簡単には進みませんでした。
警察署の刑事部屋のドアにはだいたい「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあり、広報担当の警察官がいて、その人に話を聞いてネタを取るというのが通常の手順です。
でも、それでは他の記者と同じネタしか取れません。だから躊躇(ちゅうちょ)せず、「関係者立ち入り禁止」と書いてあるドアをノックして入っていきました。
「これが特ダネって言うんだ。よく覚えておけ」とデスクから叱られました。
売れる見出しのためであれば、何でもするのか。こんなことを続けていたら、自分の中にある大切なものをいつか失ってしまう。
先輩記者から「お前がそんな記事を書いたら俺は県庁記者クラブに出入りできなくなるだろう」と怒られ、デスクには「読売新聞がこんな記事を出せると思っているのか」と言われて、ボツにされたこともあります。
それでも記者にやりがいを感じるのは、伝えなければいけないという使命感があるからです。
私は神戸に住んでいたのですが、震源はうちのマンションの下だろうと思うほどの強い揺れで、これで自分は死ぬと思いました。
揺れていても頭は冷静で「こんな中途半端な人生で殺すのなら、最初からもっと違う人生をくれたらよかったのに」と、信じてもいない神様に文句を言いました。
「苦労させておいてこんな死に方をさせるのは納得がいかない、許せない」とすら思いました。
『週刊文春』で、田中角栄とロッキード事件を題材にしたノンフィクションの連載を始めました。
今の世の中の状況が、田中角栄がロッキード事件で逮捕された1970年代によく似ていることもあります。
自分は「扇動者」なのかもしれないと思うことがあります。振り返れば、私は小学生の時からずっと、自分の信じる正論を言い続けてきました。
連載「イノベーターズ・ライフ」、本日、第1話を公開します。
(予告編構成:上田真緒、本編編集:谷口 健、撮影:遠藤素子、デザイン:今村 徹)