米ディズニーのJ・ラセター氏、年内に辞職 スタッフに「不快」なハグ
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ジョン・ラセターがこんな形でディズニーを去るなんて…
ピクサーでAppleを追われたジョブズと素晴らしい映画を生み出し、ディズニーの傘下になってからもディズニーの傾きかけた数多くの映画コンテンツを次々と再生してきた立役者だけにこの末路は惜しい。(ピクサー買収前までのディズニーは安易な続編を連発してコンテンツを劣化させまくっていた)
勿論してきたことは許されることではないが、アメリカは再スタートにも寛容な国だと信じたい。ジョン・ラセターは1957年生まれ.ディズニー社が設立した芸術大学,カルアーツで学び,ディズニーのアニメーターとして働き始めた.彼はCGを組み合わせた作品を作ることを考えていた.そのころのディズニーはウォルトが亡くなって混乱していた時期で,自分の企画を売り込んだが,逆に会社を解雇されてしまう.そんなラセターが,偶然であったのが,エド・キャットムル.
エド・キャットムルはユタ大学でコンピュータ・アニメーションを研究.コンピュータ・グラフィックス研究所を立ち上げたが,技術はあってもアニメーション素人.1979年,ルーカスフィルム内のコンピュータ部門に移籍した.ところが,ジョージ・ルーカスは,映像編集や財務会計のためにコンピュータを使うだけ.キャットムルたちは隠れてコンピュータ・アニメーションを制作していた.そのとき,ラセターに出会ったのでした.
キャットムルは即座にラセターを雇い入れた.1984年,「アンドレとウォリー.Bの冒険」という短編作品を発表.世間の評価は高かったが,ルーカスには不満で,将来性がないとみたルーカスは,コンピュータ部門を売りにだした.このとき,ハードウェア会社として「ピクサー」という名前が付けられた.
そしてピクサーを買ったのが,スティーブ・ジョブズ.ジョブズはピクサーをハードウェアの会社として買った.キャットムルは,アニメーションは宣伝になるからとジョブズを言いくるめ,アニメーション研究を継続.そしてついに,1991年,ディズニーとの共同制作,長編映画「トイ・ストーリー」の制作を開始.しかし,ジョブズは巨額をつぎ込んでも黒字になる見込みが見えないピクサー売却を何度も画策する始末.ところが,1995年,「トイ・ストーリー」の公開で奇跡の逆転.
2000年代に入るとディズニーの業績が悪化,ピクサーとの関係も悪化.しかし,ディズニーにとってドル箱ピクサーの影響力は大.ディズニー社長が代わり,関係改善.そして,2006年,ピクサーはディズニーに買収.キャットムルはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの社長も兼務.ラセターはクリエイティブ担当最高責任者として,かつて解雇されたディズニーへ凱旋したのでした.
以上,「メイキング・オブ・ピクサー 創造力をつくった人々」 https://amzn.to/2kZKsgy より.この本は面白いよ.行き過ぎたポリコレの成れの果て… 余りに馬鹿馬鹿しい。こんなしょうもないのとで人類にとって掛け替えのない才能を失うのは損失でしかない。女性に声を上げて欲しい!行き過ぎた風潮を止めるべき >ラセター氏は、スタッフに望まれていないハグ(抱擁)をして「相手の気持ちを無視し、不快な思いをさせていた」