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そもそも「おっさん」という比喩に寄りかかったコンセプトがうまくない。世代や性別を指すものではないといいながら、世代や性別の話ばかりが出てくる。コンセプトとして弱い。言わんとすることは分かるが、多くの断り書きや説明(=年齢や性別ではない、など)を必要とするコピーはそもそも筋が悪い。個人的な希望として、NPは即時的なウケや刺激を狙わずにもっと上品にやってもらいたい。
今回は、番外編としてNYタイムズの、女性CEOがなぜ減っているのかという内容の記事を掲載します。

「フォーチュン500」社のうち女性CEOの数は、昨年の32人から24人に減少しました。
一部の会社では、#MeTooが逆効果になっている例も散見されるそうです。誤解されることを恐れ、男性の上司が女性の部下を指導するのを敬遠してしまうというのです。なんという皮肉でしょうか。詳しくは本文をお読みください。
先日イアン・ブレイマーとの座談会にNP主催で参加した際に彼も言っていましたが、米国フォーチュン大企業に女性リーダーは数えるほどしかいないのは何故かと。日本では経団連経営者がモノカルチャーだとナイーブな議論が多いですが、男女比に関しては統計優位に世界で大同小異です。

私がいつも注目しているのは、大企業経営者もそうだが、スタートアップの創業者。さらに圧倒的に女性が少ないです。大企業経営者は「選ばれる」立場なのでいろいろ要因はありそうだが、起業家は自らの意思でやるものにて、そこで女性が極めて少ない事の要因分析のほうが、本質を突くように思います。
女性の社会進出が進んでいるアメリカでも女性に対する根本的な偏見があるのであれば、
まだまだ女性リーダーが少ない日本では、もっと潜在的な偏見があるのかもしれないですね。

いろいろな意見があると思いますが、
シンプルに、男性であろうが女性であろうが、挑戦する機会が平等に与えられ、評価される機会も平等に与えられていれば、無理な数字目標を立てなくても自然と女性リーダーは増えていきそうです。(今増えていないのは、その機会がやっぱり少ないからではないでしょうか。)
多様性の時代で、もともとCEOが最高の職務であるとの固定概念がズレていると思う。CEOの女性比率が減っているのは、単に母数の違いであって後退しているわけでは無かろう。
日米共に、男性は会社勤めを基軸に考えてその人数は多い。一方、女性は子供との関わりは依然として強かったり、地域社会の活動が多いなど、考え方も多様化している。多様化した活動や考え方の中で、企業のCEOには魅力を感じる事なく、達成感や自己実現を達成する事は可能で有り、米国の女性がそそちらを求めてもおかしくは無いしカッコいい。
最近、50歳代のまだ上を狙える役員クラスの知人の米国人女性が続いて引退したが、今後の人生でもうフルタイムで営利企業に関わるつもりは無いと口を揃えていたのが印象に残っている。CEOが全てにおいてのゴールと見てしまう男性をあざ笑っているようだった。
無意識のスルー、多々あるのでは。
某大手メーカーでは、部長や課長が記入する評価シートに
マネジメント層候補育成に推薦する部下を記入する欄があり、女性の名前も記載する項目を増やしたそうです。

理由は、無意識に対象からはずすケースがあるから。
あらためて対象として見ると該当者が出てくる。
小さな改善が芽を育てる
女性の権利を尊重しようするがあまり、女性に関わることが面倒になり、その結果チャンスをつくれなくなってしまうというのは何とも皮肉な話です。
「さよなら、おっさん社会」という連載から趣旨がズレてる。
おっさんの定義を、年齢や性別ではなく
「古い価値観に凝り固まって新しい価値観に適応できない、 過去の成功体験に執着し既得権益をふりかざす、序列意識が強くて自己保身的、よそ者や序列が下の人間に対して非礼など、一言で言えば「新しいことを学ばない(アップデートしていない)」存在」
としている中で、今回のは女性管理職を増やす云々のジェンダー論。テーマに沿うなら、おっさん化した女性がどうとか、そういう風に持っていった方がよかったのでは?
女性の優れた能力は男性には無いものが沢山ある。アメリカでこの数値に驚きました。
アメリカの保守化、世界のトレンドと逆行している。
アメリカは想像以上に保守的だ。
これでは女性大統領はしばらく出にくい。
この連載について
日大アメフト部の危険タックル問題、財務省次官のセクハラ問題 ……etc.「日本型タテ社会の構造」が引き起こした問題が 続々と表面化している。これら問題の根幹は権力を握る者、意思決定層が “おっさん“により独占されており、おっさんのおっさんによるおっさんのための社会が作られているからではないかーー。NewsPicksは「脱・おっさん社会」を導くため、今、訂正を余儀なくされている日本型タテ社会の問題について考察してゆく。