ユーザーエクスペリエンスへの挑戦

従来、モノを作ることは性能と機能がすべてだった。
エンジニアとプロダクトデザイナーは、人々が求めるであろうモノを発想し、それがうまく機能する方法を見つけ出し、「改良を重ねた新しい」製品として世に送り出す。その結果が、腹立たしいほど使い勝手の悪いモノだったということは少なくないにせよ──。
そうした状況が変わり始めたのは、認知工学者ドン・ノーマンが名著『誰のためのデザイン?』(邦訳:新曜社)を出版し、インダストリアルデザインのなかに「ドミナントデザイン(支配的な定番デザイン)」や「アフォーダンス(ユーザーに適切な行動を促す視覚的な手がかり)」「自然な対応付け」といったコンセプトを取り入れるという考え方を提唱したときからだ。
同書は、ユーザー中心のデザインというムーブメントの先駆けだと広くみなされている。そしていま、ユーザーエクスペリエンス(UX)の分野は大きな盛り上がりを見せている。
そこにきて、人工知能(AI)が新たな挑戦を突きつけている。私たちは、コンピューターのインターフェースに話しかけたり文字を入力したりすれば、機械がそれに応じた反応を返してくれるだろうと考えているが、そうとは限らない。
アマゾンの「Alexa」や「Google Home」といったスマートスピーカーの人気が高まりを見せるなかで、私たちはいますぐにでも、人間とAIのインタラクションについて明確な原則を打ち出さなければならない。
そのために乗り出したのが、2人のIBM研究者だ。

会話分析が解明する暗黙のルール

ボブ・ムーアが初めて会話分析に出会ったのは、大学生だった1980年代後半のことだ。強い関心を持つようになった彼はのちに、その分野での研究をもとに博士号を取得した。
会話分析における中心課題は、コメディドラマ『となりのサインフェルド』や『ラリーのミッドライフ クライシス』を見たことのある人なら誰でもよく知っている。私たちが交わす会話は、必ずしも明確ではない複雑かつ暗黙のルールに満ちているということだ。
たとえば、どんな会話にも「言外の目的」が存在する。ただの暇つぶしや情報交換、あるいは感情を呼び起こすことなど、さまざまだ。
また、私たちの会話は文脈によって形作られている。会話をしているのが友人2人なのか、上司と部下なのか。あるいは会話の場が裁判所なのか、診察室なのかによって、暗黙のルールは異なってくる。
ムーアは筆者に「会話分析は基本的に、人々が話をしながら、守ったり曲げたり破ったりしている暗黙のルールとは何なのかを解き明かすことを目指している」と説明した。
博士号を得た彼は、テック業界も同様の課題に取り組み始めていることを知る。そこで、パロアルト研究所での職に就き、Yahoo!に移り、2012年にIBMにたどり着いた。
IBMが自社のAI「ワトソン」と他業界のアプリケーションを統合すべく取り組むなか、ムーアは、受賞経験を持つビジュアルデザイナーでもあるUX専門家のラファエル・アラルと共同研究に着手した。
ムーアとアラルの2人は、互いの関心が奇妙に絡み合っており、機械のためによりよい会話をデザインするうえで支え合える関係であることに気がつき始めた。

エンゲージメントの原則を確立する

私たちは通常、声と文字を用いた自然言語インターフェースを使っている。たとえば、検索ボックスがそうだ。
スマートフォンやスマートスピーカーに「Hey、Siri」や「Hey, Alexa」と声をかけて、情報を探したいと表明し、続けて「一番近いスターバックスはどこ?」といった簡単な質問をする。運転中や道を歩いているときにはとくに便利だが、タスクが複雑になるとかなり限定されてしまう。
しかし、自然言語インターフェースとスクリーンなどほかのインターフェースを併用できるようになれば、よりおもしろく利便性が向上する可能性がある。
そこで重要となってくるのが、会話分析とUXの融合だ。なぜなら、人間とコンピューターが交わすより複雑なインタラクションのために、慣例や約束事を構築するうえで役に立つからだ。
アラルは筆者に「私たちは、インターフェースのさまざまな側面が互いにどう関連し合うかを示す、一連の明確な原則を解明したいと考えていた」と語った。「誰かが行動を始めるためにボタンをクリックしたら、会話ではいったい何が起こるのかということだ」
ところが、会話によって必然的に文脈や状況が異なることが、この研究を複雑なものにしている。
たとえば、スマートフォンでレストランを検索したとしよう。スクリーンに表示すべきなのは地図だろうか。料理の値段や料理の写真、レビュー、それともそれらを組み合わせた情報だろうか。病院や水道工事会社、旅行先を探すときには、ルールはどう変わるべきだろうか。

文脈を保存して、意味を見出す

会話は、文脈に大きく依存しているという別の側面を持つ。その文脈は、時間とともに変化したり進化したりする。
たとえば誰かに、近くのレストランについて尋ねたとしよう。その場合、相手は「どんな種類のレストランを探しているのか」という質問を返して、選択肢を絞り込もうとするのが自然の流れだ。
そこで「メキシカン」と答えたとする。それでも、知りたいことがメキシコの経済や文化ではなく、メキシコ料理のレストランであることを相手はわかるだろうと私たちは考える。
別の問題は、特定の事柄に関して一連の論理的思考を行っているときに、条件に当てはまらない要素が見つかることが多い点だ。
たとえば、医師が患者のために臨床試験を探していて、期待できそうな研究を見つけたものの、臨床試験がすでに終了していることがわかったとしよう。その場合は一般的に、振り出しに戻って別の臨床試験を見つけなくてはならない。
「真に会話的なインターフェースなら、やりとりしていて話が逸れたり転換したりすることが何度かあっても、それまでの文脈を保存しておくことができる」とムーアは言う。
「私たちの研究が成功すれば、機械はユーザーの能力レベルに適応し、専門家のニーズを柔軟に満たす一方で、初心者には必要に応じてシステムを段階的に手ほどきできるようになる」
それこそが、コンピューターとより自然な会話を始める能力に秘められた真の可能性だ。人と人との関わり合いと同じで、人間と機械とのコミュニケーションがスムーズになればなるほど、そこから引き出される価値は増えていくだろう。

インターフェースを消滅させる

ウェブデザインの黎明期においては、UXとデザインの間にはつねに葛藤があった。メディアデザイナーが独創的であろうと必死になる一方で、UXエンジニアは慣例や約束事を積み上げようとしていた。
ウェブページの右上に検索ボックスを配置するのは独創的とは言えないかもしれないが、ページ右上こそユーザーが検索しようとしたときに目を向ける場所だ。
やがて、両者は有意義な協力関係を結ぶようになり、いまではほとんどのウェブサイトがずいぶん直感的なつくりになっているようだ。大半の人は、どこに何があるのかを知っているし、容易にナビゲートできる。
これからの課題は、AIのために同じようなウェブ体験を構築することだ。そうすれば、私たちとテクノロジーとの関係は、より自然で、より便利になる。
「20年前に、従来型ウェブサイトのUXに取り組み始めたときと同じく、今度はユーザーインターフェースを消滅させたいと考えている」とアラルは言う。
なぜなら、インターフェースと格闘したり、しょっちゅう言い直したり、質問をどう言い換えるべきか頭をひねったりすることがなくなり、インタラクションをより効率的かつ生産的なものに変えられるからだ。
ムーアは私にこう述べた。「現代のシステムが持つ価値の多くは、データに閉じ込められている。そして、私たちは年々、そこに何十億ギガバイトものデータを加えていて、とてつもない可能性が秘められている。
ところが、そこから価値を導き出そうとしても、私たちの能力はユーザーインターフェースの効率性によって制限されている。インターフェースの理解力を向上させ、その大部分を消滅できれば、より多くの価値を解き放つことができるはずだ」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Greg Satell/Author, Mapping Innovation、翻訳:遠藤康子/ガリレオ、写真:YakobchukOlena/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.