「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私がいま考えること
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注目のコメント
アメリカ文学の最高傑作の一つ「風と共に去りぬ」は、
リンカーンの奴隷解放に懐疑的なスタンスで書かれている事でも有名です。
その中で、黒人奴隷同士が、お互いを軽蔑しあう描写があります。
「私は家事働きだから、野良働きの奴らとは違う」とか、「私が仕えている主人は金持ちだから、貧乏白人の家の奴隷よりましだ」とか。
そういった描写まで含めてとてもリアルで、差別を考えるうえでもとても勉強になる小説でした。
この記事の筆者も、差別される側がすべて高潔な人であるかのように思うことに、疑問を投げかけています。
また、差別される側にも差別意識がある、というのもうなずけます。
差別する気持ちや、偏見をなくすことは困難でしょう。それが可能だと思っている人もいるのかもしれませんが、国民全員というレベルでは不可能だと思います。
とてもおもしろい記事でした。
筆者の別の記事も読んでみたいと思います。良記事です。
特に下記の部分は重要。
>あらゆるレベルでの差別を告発し、社会の仕組みを変えてゆくことは必要であろう。だが、制度よりも「心の動き」が大切であることを忘れてはならない。
>差別を生みだす精神構造は私たちみなが持っている。ヒトはその置かれた環境におおきく左右される動物であるから、差別主義者を攻撃するのではなく、差別が生みだされる環境を理解しなければならない。
人と面と向かって交流することの大切さ。差別意識を生み出すのも感情ではあるし、その感情を全くゼロにすることはできない。ゼロにはできないけれど、限りなく薄めることはできる。薄めるためにも自分の中の多様性を拡張することが必要なのだ。コメントを読むと、自分の経験に引きつけて読んでいる人が多くていいですね。作者の鈴木氏はアカデミック畑・文化人類学の方ですが、アフリカ研究・論文はフィールドワークものが多くて入りやすく、面白いです。
「正論の押し付け合いは無力」そう思います。正論が必要ないという意味でなく、それで状況がすぐ変わるわけでなく、むしろ悪くすることもあるから無力です。また、状況をしればしるほど、「安直な正義感による正しい意見」は言えなくなるものとも思います。