謝罪を最後まできちんとやり遂げる。その方法を知ることは、リーダーたる者にとってもっとも難しく、かつもっとも重要なレッスンと言えるかもしれない。

成長とイノベーションの土壌を養う

申し訳ありません──。
これまでにいったいどれくらい、この言葉を口にしたり、耳にしたりしてきただろうか。完璧な人間などいない。誰もが間違いを犯す。どんな人でも信頼を裏切る。誰にでも欠点はある。私たちはみな、人間なのだ。
しかし、いま挙げた5つの真理のうちの4つについては、心から認めたがる人はほとんどいないだろう。
そうした真理から目をそらすことがあなたの目標なら、ここから先は読まないでほしい。というのも、これから説明しようとしていることは、あなたが自分の不完全さを認め、さらに(この点が何よりも重要だが)成長してそこから脱け出したいと思っていなければ、なんの役にも立たないからだ。
「申し訳ありません」と言うだけでは、じゅうぶんではない。これは特に、組織のロールモデルになろうとしている人の場合にあてはまる。
成長とイノベーションの土壌を養いたいと思っているのなら、なおさらだ。そうした環境では、あなたや組織の人々が行った行動が予期しない被害を生むことは珍しくない。たとえ行動が熟慮したものであり、目標がよく検討されたものであっても、間違いは起こりうるのだ。
明らかに間違った行動をとってしまったときに、どうするか。その選択肢は、ごくごくシンプルだ。間違いを認めるか、認めないか、そのどちらかしかない。
認めないほうを選ぶのなら、あなたはすでに無駄に長く読みすぎている。認めるほうを選ぶのなら、ここでそのやりかたを説明しよう。

1. 間違いを認める

最初のステップは、自分の行動に対する責任を全面的に認め、説明責任を果たすことだ。つまり、言い訳は絶対にしてはいけないし、責任の転嫁や分散もご法度だということを意味する。すべてあなたの責任だ。
そう、たとえ心の奥底では絶対に自分のせいではないと確信していたとしても、責任はあなたにあるのだ。行動の責任を認めれば、自分のとった行動を真摯に受け止めていることを伝え、その影響やそこから生じる損害を認識し、再発防止の取り組みを行う準備があると示すことができる。
「申し訳ありません、ですが……」という謝罪の言葉に効果はない。「ですが」という言葉を入れると、謝罪の価値はたちまち下がる。そうではなく「ですが」を「私は」に置き換え、明快かつ曖昧さのない言葉を使うようにしよう。
この時点では、自分の行動を正当化しようとしてはいけない。すべてあなたの責任なのだ。それを受け入れ、間違いを認めよう。
別の人が関わっていた可能性がないとか、偽りの説明を許すべきだと言っているわけではない。だが、当然引き受けるべき責任から逃れようとしても、それは謝罪という行為を損なうことにしかならない。

2. 弱さをさらけだす

我々が謝罪を嫌うのは、自分をさらけだすことになるからだ。謝罪をすると、自分の欠点や不安、失敗、後悔、認識不足があらわになる。それらを白状したがる人はいないだろう。それは自分の内なる苦闘を他者にさらけだすことを意味するからだ。
人は誰でも欠陥を持っているが、私たちはみな自分の真の姿ではなく、こうありたいと願う姿を自分に投影したいと思っている。だが、失敗をさらけだす自信と強さを備えた人ほど誠実であるという印象を与え、かつ人心を惹きつける存在はそうそういない。
過ちを犯したのだから、自分の世界を他者にずかずかと踏みこませなければいけない、と言っているわけではない。だが、自分の内なる聖域をさらけだし、迷惑をかけた相手に立ち入らせなければ、責任をとったり欠点を克服したりするだけの自覚があると見なしてもらうチャンスは、ほとんどないだろう。
これは自分の欠点をさらけだし、他者に教えを乞うということでもある。自分の力だけでどうにかなるのなら、あなたはとっくにそうしていたはずだ。その事実を直視しなければいけない。

3. つぐないをする

つぐないをきちんとしよう。感情的なものであれ、有形のものであれ、ほかのどんなものであれ、損害が生じてしまったのなら、どうすれば正常な状態に戻せるかを考える必要がある。
損害が大きすぎて、是正できないこともあるかもしれない。起きてしまったことは、取り返しがつかない。だが、もう終わってしまったのだから損害を修復することはできないと考えるのは間違っている。
時間を巻き戻して、もう一度やりなおすことができないのはたしかだが、どうすればつぐなえるのかを影響を受けた関係者に真摯に訊ねれば、仕事上の信頼や個人的な信頼を取り戻すチャンスはつねにある。
「申し訳ありません。過去を変えることはできません」というような総括的な声明を出すのではなく「状況を修復して未来を変えるために、私に何ができるでしょうか」と訊ねてみるといい。修復の意志に焦点を移すのだ。
二度と起こさないと約束するのは立派だが、率直に言ってこの段階でそれを信じてくれる人は誰もいないだろう。私たちはみな、過去の行動をもとに人を判断しているからだ。
しかも、あなたが謝罪に追いこまれたのは、これが初めてではないかもしれない。もしかしたら、まったく同じことで謝ったこともあるかもしれないのだ。
信頼回復への唯一の道は、謝罪の相手が被った損害を修復するのに必要なものを提供することだ。それは、あなたが決めることではない。相手が決めることなのだ。

4. 今後の方針を透明化する

3つのステップをきちんとくぐり抜け、もう一度チャンスを与えられたら、その先にはごく単純な選択が待っている。あくまでもその場にとどまり、信頼回復を試みるか。あるいは、尻尾を巻いて逃げ出し、過ぎたことは忘れようと努めるか。そのどちらかだ。
前者は時間がかかるうえに成功する保証もない。しかし、この道は自己改革と成長につながっている。対する後者は停滞へと至る道であり、そもそも謝罪の原因になった行動を繰り返す可能性もきわめて大きい。
あくまでもとどまることを選ぶのなら、透明性と開放性の大切さを認識していることをはっきりと伝え、明確なかたちで行動しなければいけない。もう一度信じてほしいと望むのなら、暗い面も明るく照らしだすほうが賢明だろう。
たしかに、それは愉快なことではないし、過去の過ちの根底にある行動を無視するほうがずっと簡単だ。だが、そうした行動は、この先もまたあなたを悩ませることになるだろう。言ってみれば、支払い計画のようなものだ。
いますぐ損害を被って支払うか、将来を担保にしていつまでも代価を払いつづけるか、そのどちらかだ。

5. 自分を許す

謝罪については、最後にもうひとつポイントがある。このポイントに言及されることはめったにないし、この手の話では見落とされがちだ。謝罪は、迷惑をかけた相手のためだけにするものではない。自分自身のためでもあるのだ。
ここまでの4つのステップは、どれも他者の許しを求めることに重点が置かれているように見える。他者からの許しは気持ちの慰めになるし、私たちはそれを求めてしまいがちだ。だが、その慰めはつかのまのものだ。
結局のところ、他者からどう見られるかという問題は、自分がどれだけ正確に自分自身を把握できているかに比べれば、とるにたりないことだ。自分の心のうちで過ちを認め、生じてしまった損害を受け入れ、そこから学び、自分自身を許すまでは、謝罪は完全には終わらないのだ。
完璧な人間などいない。誰しも間違いを犯す。どんな人でも信頼を裏切る。欠点は誰にでもある。だが、私たちはみな、その真理から脱け出すことはできない。それがあなたの期待していた言葉ではないなら……申し訳ないことだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Thomas Koulopoulos/Founder, Delphi Group、翻訳:梅田智世/ガリレオ、写真:kieferpix/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.