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注目のコメント
この記事には書かなかったのですが、マイクロソフトの社長になってからもトヨタさんとの不思議な縁は続きました。
ついに豊田章男さんが目の前に現れたのです。
といっても当時は豊田さんはまだ業務改善支援室の課長でした。高校の先輩だったスパークス創業者の阿部修平さんが引き合わせてくれたのです。阿部さんは豊田さんの大学時代先輩。つまり豊田さんとぼくは同い年でした。阿部さんは二人の後輩の世話をしていたのです。
丸の内のパレスホテルで3人で朝食をとっていたその日は1995年2月26日でした。
この日、早朝のレストランは内外のビジネスマンだけでした。7時ごろに彼らの携帯が一斉に鳴動したのです。阿部さんも含めて、ほぼ全員が5分以内に出ていってしましまいした。
残されたのは豊田さんとぼくだけ。二人で唖然としてました。ベアリング銀行が潰れた日だったのです。そこにいたビジネスマンのほとんどが金融界だったのでしょう。
二人だけになったあとの会話は「名古屋駅の鶏そぼろ弁当はなぜ売り切れるのか」でした。つまり売れ筋予測と生産在庫管理の問題でした。
さて、それから何回かお会いしているうちに、豊田さんが常務だった張富士夫さんと二人でマイクロソフトにいらっしゃいました。MSの戦略を説明してくれというのです。そして帰り際に耳元で「張さんってね、次の社長になると思うんですよね。お付き合いくださいね」と。
それ以降、トヨタさんとの付き合いは豊田さんだけでなく、全社的になっていきます。ほぼ20年後の2016年には合弁会社のトヨタ・コネクティッドが設立され、マイクロソフトはトヨタGazooレーシングチームのスポンサーです。
このころのビル・ゲイツの愛車はレクサスです。もちろんポルシェ959などのスーパーカーを何台も持っていましたが、レクサスは毎年、新モデルを買って自分で運転してました。
豊田さんが部長に昇任したころ、トヨタファンのビル・ゲイツと豊田経営陣との面談をセットしてくれました。名古屋のホテルの一室で、ビルとぼくの目の前に座っているのは豊田英二、豊田章一郎、豊田達郎のお三方。
お三方からは電気ポットの話がでてきたのです。そしてその議論は1時間も続きました。これからがいいところなのですが、それはまた次回以降にとっておきましょう。【第6話】「日本の自動車業界で、系列の縛りが壊れた日」「当時の自動車業界では大事件」、成毛眞さんは業界の慣習を知らなかったからこそ、非常識な成功を成し遂げます。