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コメント
注目のコメント
発達障害には、色々な定義や程度がありますが、どの説明を読んでも、行動の傾向が書いてあるだけで、“周りはどうすれば良いか”について、多くの記述はありません。
その人の“個性”を観察して、その“個性”を活かせるように対応するしかないと思います。
これは発達障害に限らず重要なことであり、みんながお互いのことを理解して、尊重して、対応すれば、解決します。
新しい世代は、自分の個性と相手の個性をリスペクトしていると感じます。(価値観の押し付けが少ないように見えます。)
これからの社会が楽しみです。【第2話】「子どもの頃の自分がADHDだったと推定し、いろんなことが腑に落ちた」と話す成毛眞さん。ここに書かれている行動特性を読んで、いま腑に落ちる人もいるかもしれませんね。
やっぱそうですよね。私もADHD。
社会的地位のある方の有難い自己開示。
走るのも泳ぐのも踊るのも好きだったが、バスケはまだボールを持ち方向を決められるからマシだが、バレーボールは苦手だった。
距離感が分からない。
人との距離も。
10年近く一緒に住んだ人とも打ち解けられず破綻した。
相手はもどかしかっただろう。
今、会った人の名前がわからない。記憶がすっぽりない。
だけど詳細な癖や違和感のある情報は覚えてる。
神経質、人の本質を当ててしまうから恐いなどと言われるが、
全くそこに感情はない。
素朴に気になるだけ。
人と協調することを強いる教育は苦痛で歪ませる。
こんなわたしでもご縁によって今は、協調はできないけど共生している。
理解できなくとも理解しようという姿勢で共に生きているだけでマイノリティは生きていけると思う。