• 特集
  • 動画
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

阪神・淡路大震災から23年 「あの日」を胸に祈りの朝

www.kobe-np.co.jp
256
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


注目のコメント

  • 朝倉 祐介
    badge
    アニマルスピリッツ 代表パートナー

    もう23年も経つんですね。西宮の自宅は半壊しました。今でも「地震」と聞くと、即座に思い出すのは阪神・淡路大震災です。
    当日、たまたま母親の部屋で寝ていたところ、翌朝、自室に行くと、タンスや本棚が全て倒れてベッドが折れていた光景はなかなかにショックでした。はす向かいのおじいさんは逆に、たまたま普段寝ていない部屋でお休みになっていたところ、押し潰されてお亡くなりになったのを聞いて、なんとも複雑な思いになったものです。
    当時は小学6年生。3学期の授業はほぼありませんでしたし、体育館が避難場所だったので卒業式は校庭。町の風景も一変しましたが、子ども心に思った以上に早く町中は早く復興したように感じたのが印象に残っています。
    いつまた起こるかわからない地震。常に備える気持ちで。賃貸住宅だと壁を傷つけると敷金からお金が引かれるなんて言わず、大きな家具はちゃんと固定しましょう。


  • 藤本 恭史
    Riot Games パブリッシング統括ディレクター

    あの日、神戸に一人暮らししてた僕は夜中にアルバイトを終えてふと実家に帰ろうと思い立ち、兵庫県内の実家に車で戻り、地震に遭遇しました。次の日神戸に戻った時には、明石から神戸に近くにつれ、道は塞がれ、ビルは倒壊し、人々は寒さ対策にドラム缶とかありものを利用して焚き火をして、世の中が一変しているのを見ながらこれから世界はどうなるのだろう?と思ったことを思い出します。バイト先のあった三ノ宮の中心地は古いビル同士がお互い寄りかかるように倒れ、電線は切れて地面に落ち、まさに漫画の北斗の拳でみた世紀末の街のようでした。神戸という街並みと瓦礫のギャップがあまりにも大きく、現実感を失いました。
    そんな中、にわか窃盗団が横行し、夜中バイト先の商品を守るため棒切れを持って店先で警備したりもしました。究極的な災害状況では、人は自分を見失うことがあるのかもしれない。混乱して起こしてしまった失敗もあるかもしれない。でも今まで数回の大地震を経て、日本人は災害に対して確実に逞しく、そして賢く学んでいると思います。その知見を継承しながら、そしてより発展させ、将来起こるかもしれない災害を皆でどう乗り越えることができるかを常に心に止めておきたいです。


  • 寺東 宏城
    社内弁護士 執行役員経営企画室長

    当時のことは思い出したくありませんが、決して忘れてはいけません。

    23年前でも昨日のことのように鮮明に思い出せます。生と死は紙一重だった状況で、生かされたことに感謝し、亡くなられた方々の無念を決して忘れることなく、その方々の分まで一生懸命に生きる義務があると思っています。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか