オーストラリアのアラウダ・レーシング(Alauda Racing)は、2020年までに「フライングカー」という新たなモータースポーツを確立させる構想だ。

「空のスポーツカー」開発を目指す

自動運転車の進歩は速いペースで続いている(凍った道路に対応できるタイプも登場している)。そして、フライングカー(空飛ぶクルマ)やそれに類する乗り物も、いまや単なる空想の域を抜け出しつつある──。
そう思わせてくれるのが、オーストラリアのスタートアップ、アラウダ・レーシング(Alauda Racing)だ。
アラウダが2年を費やして完成させた「エアスピーダー・マークワン(Airspeeder Mark I)」。その外観は、まるで『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』に登場する乗り物のようだ。
厳密に言うと、エアスピーダー・マークワンはクアッドコプター、つまりドバイの「エアタクシー」のような、いわば大型のドローンだ。カスタムメイドの木製プロペラ(アルミフレーム)と4基の電動モーター(合わせて268馬力)で飛行する。
人間のパイロット用シートがひとつあり、最高速度は時速124マイル(約200km)、最高高度は2マイル(約3.2km)に達する計画だ。
操縦法は通常の航空機とほぼ同じで、パイロットはピッチ(前進・後退)とロール(右に進む・左に進む)をジョイスティックで、ヨー(右旋回・左旋回)とスロットル(上昇・下降)をペダルでコントロールする。車輪はなく、路上走行は想定されていない。
アラウダの創業者であるマット・ピアソンはプロモーション動画のなかで「われわれが目指しているのは『空のスポーツカー』の開発だ。その目標に到達するためにはレースが必要だ」と述べている。
同氏の野心は、まったく新しいスポーツ、つまり「空中グランプリ」スタイルのイベントを2020年に開催することに向けられている。まだ有人テスト飛行を行っていない同社にとっては高い目標だが、先日キャンセルされたKickstarterのファンディングに添えられた注釈では、今後の予定の実行が再び確約されている。
フライングカーとスポーツを結びつけようとしているのはアラウダだけではない。
トヨタらが支援する日本の有志団体「カーティベーター」(CARTIVATOR)は2017年夏、彼らが開発するフライングカーを使って2020年の東京オリンピックで聖火台に火をともしたいと発表した。ただし、「SkyDrive」と呼ばれるこのプロジェクトは前途多難のようだ。
数カ月前に行われた無人のテスト飛行では、機体はなんとか1メートルほど空中に浮かんだものの、それ以上はバランスを失い、胴体着陸してプロペラに損傷を負った。現在、設計の手直しが行われており、2019年にはSkyDrive初の有人フライトも予定されている。

自転車競技や自動車レースの歴史

「フライングカー・ビジネス」は先走りすぎているのだろうか。たしかに今の段階では、ビジネスと呼ぶことに無理があるのは認めざるをえないが、奇異な技術を本物のスポーツへと変えたい場合、何が必要なのだろうか。
ほかのスポーツの歴史をふり返ってみると、まずはレースを開催するのは、第一印象とは違って効果的なようだ。
「よく似ているのは、自転車競技の歴史だ」と指摘するのは、カリフォルニア大学サンディエゴ校でスポーツの歴史を研究するロバート・エデルマン教授だ。
「自転車競技の歴史を調べてみると、まずは自転車が発明され、労働者階級の移動手段になった。彼らには馬車、さらにその後は自動車を買う余裕などなかったからだ。そして自転車を普及させ、売る手段として『レース』というアイデアが登場した」
自転車に続いて、モータースポーツも同じモデルにならった。フライングカーと自転車とのとてつもない価格差を考えると、フライングカーにより近いのは、自動車のほうだろう(フライングカーは労働者階級のスポーツでないことは明らかだ)。
初期の自動車は、1908年にフォードの「モデルT」が登場するまでは、庶民には高嶺の花だった。しかし、「第一次世界大戦が勃発するころには、真剣勝負のレースが行われるようになり始め、1920年代にはすでにインディ500も大きな存在になっていた」とエデルマン教授は言う。
つまり、何か運転できる乗り物が登場すれば、それを競争させようとする人が現れるのだ。
近年ドローン人気が高まるにつれて、リモコン型向けの「ドローン・レーシング・リーグ(Drone Racing League)」も開催されるようになっている。「NASCARを見てみても、その始まりは愛車を乗り回す一般人たちだった」とエデルマン教授は言う。

競争はイノベーションの大きな要素

ハードウェア的な面から見れば、フライングカーにいちばん近いのはエアレース(決められたコースを飛行機で競争するモータースポーツ)だろう。
だが、エアレースが成功しているかどうかと言えば簡単ではない。このことは、フライングカーのスポーツ化が苦戦に直面するであろうことを示唆している。
世界初のエアレースが行われたのは1909年。ライト兄弟が1903年に初フライトを行ってから、わずか6年後のことだ。新しい航空分野への関心は、第一次世界大戦の開戦前から1920年代を通して、さらにいくつかの大きなレースの発展へとつながった。
現在、それほど数は多くないもののエアレースの大会が世界各地で行われており、エナジードリンクメーカーのレッドブルがその多くの後ろ盾となっている。ただし、平均的なアメリカ人にエアレースについて尋ねても、おそらくぽかんとした顔をされるだろう。
とはいえ、議論の余地はあるにせよ、アラウダをはじめとするイノベーターたちが望みを高く持つのはいいことだ。
レーサーおよび乗り物の考案者のあいだで繰り広げられる競争は、イノベーションの大きな要素のひとつであり、ひいては資本集中につながるとエデルマン教授は述べる。
エデルマン教授はフライングカーのイノベーターたちに対して、かつてのF1やNASCARのように「一流スポンサーや富豪たちにその魅力について理解してもらい、彼らをひきつけなければならない」と助言する。「リチャード・ブランソンなら話に乗ってくれるかもしれない」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Rachel Tepper Paley記者、翻訳:阪本博希/ガリレオ、写真:Chesky_W/inc)
©2018 Bloomberg News
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.