生きるって何だろう、働くって何だろう
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なぜ牛乳配達だったかというと、高田馬場時代に、新聞の集金に来た新聞奨学生の若者を見て、この苦労経験をしている彼に、将来勝てない気がしたのもあります。落合君や安宅さんやホリエモンのような天才性は、もともとの差なので納得できますが、経験の差で負けたくないなと思ったんですよね。
若者に言いたいのは、目先の小金に走らないこういう一年は良いよということです。バックパッカーでもいいし、あえてガテン系バイトに突っ込んでいくのでもよい。そこで考える時間をたっぷりとって自分なりの哲学を構築すると、生きていくのが楽しいし自信を持てます。人の基準に合わせるのでなく、自分で決めて信じて歩む。そのためには考え抜く時間は必要だと思います。
木が語りかけて来た云々は、本当に経験したことですが、精神科医の方々にすれば「ああ、〇〇症の初期だね」と分かってらっしゃることかもしれません。今となってはどうでもよいことですが。
ただ、真冬の夜明け。透明な空を背景にそそり立つ、枯れ木のシルエットが、本当に美しかったことは、原風景的に心に焼き付いています。高濱さんのような方、恐らく私もそうなんですが、人生の迷いや遊びが詰まっている方には独特の哲学がありますよね。
どこかの記事で書いたのですが、
学校-塾-生徒とつなぐ事は、少なくとも生徒のためにはなります。学校が知らないその子の姿をよく知っているからです。困っていることを聞き出せる逃げ場に塾がなっている。well beingな空間。田舎だと学校と馴れ合いの存在か、敵対的存在になるのが塾ですが、そうじゃない。
学校の仕事を奪うのではないし、甘やかしているのでもない。学業も伸ばすし、人間も伸ばす。信頼できる大人や、違う学校の仲間との関係を築く第三の場としての塾。
今、自分の塾に集まっている子供達を見ると、学校ではこぼれた子供達が多いです。でも、とても仲良く、その子らしさの回復や発達をやっています。
当たり前の風景を提供出来るのが塾ではないかと数年前から考えています。【第12話】大学時代に考え続けた1年間を「哲学時代」と位置付ける高濱正伸さん。「花まる学習会で今やっていることは全部、そのときに考えたことに従ってやっているだけとも言える」。動くばかりではなく、考えることに没頭する時期も必要ですね。でも没頭しすぎて高濱さんは「ある声」が聞こえてきました…。