地方発ハッカソンのその後。継続したからこそ見えてきた景色

2017/12/13
今から約1年半前、日本IBMは産官学連携のイノベーション創出プロジェクト「イノベート・ハブ 九州」を立ち上げた。IBMのテクノロジーと人脈を使って、九州に眠る優秀な人材やアイデアを発掘して九州を盛り上げる。結果的にクラウドやWatsonなどのIBMのテクノロジーを浸透させ、新しい発想ができる人材育成をサポートする狙いだ。直接的な効果は期待できない「マーケティング」。果たしてその効果はあったのか。日本IBMでデジタルイノベーションを推進する古長由里子理事と、技術リードに関わっている森住祐介氏に聞いた。
飛躍し始めた参加者たち
── 「イノベート・ハブ 九州」発足から1年半が経ちます。
古長:「イノベート・ハブ 九州」は、「IBM Watson」や「IBM Cloud」といったクラウドを無償提供し、新サービスやアイデアを競うハッカソンを開催することをきっかけにして、そこで生まれた人脈をベースに九州で産官学の連携を促進していくことを目的にスタートしました。
ハッカソンを開催して約1年、企業や学校、そして自治体関係の方々が勉強会やミートアップで3000人ほど携わってくれています。福岡を中心とした九州には、こうしたイベントを楽しむ雰囲気があるという特徴も相まって、私の感触では予想以上の盛り上がり。九州のポテンシャルを感じる良い機会になりました。
昨年9月に開催されたDemodayの様子
福岡で行ったハッカソンでは、90組がエントリーし、予選を経て決勝イベントには11組のファイナリストが進出、7組が入賞しました。メディアも地場系のメディアと全国系媒体の両方で取り上げていただく機会が多く、九州や地方創生に対する関心の高さをうかがうことができました。
日本IBM 古長由里子 デジタルイノベーション事業推進
── この1年半、どのようにプロジェクトを発展させているのですか。
古長:「発掘(Hack)」「構築(Build)」「発展(Grow)」というイノベーションへの3ステップのうち、ハッカソン後は2番目のBuildに進み、アイデアのブラッシュアップを図りながら事業の道筋をつけていきました。
昨年10月には最優秀賞・優秀賞を受賞した3チームがラスベガスへ。IBMのグローバルカンファレンスである「IBM World of Watson 2016」に参加し、AIの最前線などの見聞を広めるとともに、IBMの技術者や世界中からの参加者と交流してもらいました。
日本のイノベート・ハブの取り組みは、IBMにとってはグローバルでも貴重な経験で、このカンファレンスでも話題になっていました。
高校生の受賞者がいたのですが、彼は高校在学中に起業し、現在は大学で学びながらビジネスを成長させています。元来、起業する意志は強かったのでしょうが、受賞が自信になり後押しした可能性はあります。
また、生み出したアイデアをサービスとして提供開始したケースやアイデアをピボットし、新規事業に参入した事例も出始めています。
唯一の高校生チーム「Chronostasis(クロノスタシス)」としてDemodayに登場した吉村啓氏は、高校在籍時に起業した。
エンジニアがデザインを学ぶ、大手企業の若手がスタートアップの手法や考え方を体感するといった、新しい発想ができる人材育成や交流も活発になっています。
IBMのビジネス拡大にも寄与
── イノベート・ハブの取り組みは、IBMのビジネスにダイレクトには貢献しないと感じます。Watsonなどのテクノロジー需要を喚起しつつ、導入しようという機運が高まったときのために名刺を配っているようなものだと思いますが、ビジネスとしての手応えはいかがですか。
古長:協賛各社や九州各地の企業にIBMのサービスが採用されるケースが増えてきています。参画する各社が、自社内で使いたいという声を多く聞くようになり、活用事例も増えてきてます。
活動を通してIBMやWatsonの名を広く知ってもらう機会が増え、イノベート・ハブに参画していない企業からの問い合わせも多くなっています。
また、九州におけるIBMの組織基盤が強化されたことも重要な成果です。Bluemixユーザーグループに、全国で2番目となる九州支部が昨年5月に発足しました。
九州のお客さまからWatsonなどについて問い合わせがあったとき、当初は東京からIBMの社員が向かっていましたが、ユーザーグループのネットワークが強化された結果、現在では地元九州のビジネスパートナーによって対応することが可能になったのです。
もともと新しいものへの感度が高く活発な地域性がありますが、イノベート・ハブが加わることでさらに自立した地元技術者のコミュニティが誕生したことで、九州からイノベーションが生まれやすい素地ができたのではないでしょうか。
今年1月には、IBM Cloudユーザーグループに福岡女子部が発足し、他の開発者コミュニティとの連携や共同イベントを実施するなど、九州での活動はさらに活発になっているところです。
── IBM社内ではどんな反響がありましたか。
森住: IBM社内での動きも活発化しています。
AIはこれまでとは異なる技術だけに、これまで経験してこなかったことに挑戦しないと、AIを使うことはできない。このイノベート・ハブ 九州のように、社内外の多様な人を巻き込み、協調しながらプロジェクトを進めた経験は、IBMにとっての財産になるのです。
日本IBM 森住祐介 デジタルビジネスグループ デベロッパーアドボケート
私はIBMのグローバルで技術的なコミュニティ活動を推進する組織に所属していますが、ここでもKYUSHUの取り組みは高く評価されています。
イノベート・ハブ 九州のメンバーは専業ではないため、通常業務を行いながら時間を捻出する必要があるのですが、とても協力的に応援してくれる役員が現れたり、通訳が得意な者や九州出身者が、自主的に支援のために手を挙げてくれたりするようになっています。
AI活用は「つなげる」「巻き込める」人材が不可欠
── この1年の活動を通して、オープンイノベーション活用のポイントや、新しいテクノロジーを使いこなすためにクリアすべき課題も見えてきたのではないでしょうか。
森住:私は何度も九州まで行き、 Watsonを中心とした勉強会を実施してきましたが、そこで痛感したことが2つあります。
一つは、AIはテクノロジーを知っているだけで広がっていかないということ。もう一つは「共感」までデザインする必要があるということです。
Watsonのようなテクノロジーが真価を発揮するのは、現行業務の効率化ではなく、ゼロからイチを創造すること。そのためには、この2つを克服しないと前に進みません。
役員とエンジニア両者の話を聞いていると、どうもうまくかみ合ってないように感じます。ですが、これは仕方ないと思います。見ている景色が違い、前例のない新しいテクノロジーを生かそうとしているわけですから。
これまでとは両者のパワーバランスが変わりつつあり、今後は経営の右腕になるエンジニアの存在が重要になってくると思われます。言い換えれば、テクノロジーとビジネスをつなぎ、橋渡しできる人材が不可欠だということです。
これは新しいテクノロジーやデザインの観点を持ちつつ、企業風土やマネタイズも理解している、新しいタイプの人材が必要だということです。なかなか企業研修ではカバーしきれない範囲でもあるため、イノベート・ハブのような環境に身を置いて学ぶことが有効なのではないでしょうか。
オープンイノベーションでは、自社だけにとどまらない連携が必須ですから、関係者を上手に巻き込んで推進する力を身につけるチャンスです。
── とはいえ、道のりが険しい業界もあるのではないでしょうか。
森住:重厚長大な企業においては、現在のところパワーバランスが変わるということは起きていません。それから、法律上の制約や慣習によって、変化が困難な業界も存在します。
代表的なのが銀行で、変革の重要性と将来の危機感を、現場の行員は持っています。まずは手を付けられるところから、という思いは生まれているので、私たちは一緒に組んでできる限りのことをしたいと思っているところです。
── 直近の活動と、今後の見通しを教えてください。
森住:昨年行った1回目のハッカソンでは、広くアイデアを出すところから始まりました。次回は、社会課題や企業の新規ビジネスなど具体的なテーマを決めて実証実験を行うような形にしてみるのもいいかもしれません。使用するデータや技術をあらかじめ提示しておいたほうが、参加しやすいのではと考えています。
最近の活動としては、この10月に福岡でイノベート・ハブ 九州 デベロッパー・デイを開催しました。デザインシンキングについて学ぶとともに、テクノロジーのトレンドとしてAI、IoT、ブロックチェーンを押さえておこうというイベントです。土曜日の朝から晩までのプログラムですが、募集を開始すると、60人の定員があっという間に埋まりました。
今後も、地元の経済団体やベンチャーキャピタル、スタートアップ支援団体と一緒になって、このようなイベントを開催していく予定です。
いま起きているデジタルの潮流は、幕末と似た時代の転機のように思えてなりません。
アイデアソンも大事ではありますが、人材の育成や交流が次のテーマ。イノベート・ハブ 九州は、テクノロジーに偏るのではなく、データや人の掛け合わせによって新しく創造できる人材を輩出したい。さながら「デジタル松下村塾」として活動していきたいです。
(取材・編集:木村剛士、文:加藤学宏、写真:風間仁一郎)