【5つの格言】鬼才・岸勇希が放つ、思考の技術

2017/10/31
電通時代、史上最年少でエグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクターになった鬼才・岸勇希。あらゆる無理難題を解決してきた岸が、その極意をまとめた『己を、奮い立たせる言葉』の中から、5つの格言を紹介する。

格言1

いきなり「考え」、いきなり「アイデアが出る」わけではない。 日常的に考える癖をつけていることが大切。 呼吸するのと同じくらい、常に考えて生きる癖だ。 
考えるテーマは山ほど転がっている。
「なんでこの店流行ってるんだろう?」 「なぜ、炎上してるの?」 「こんなもの売れるかな?」
目に入ってくる景色や、聞こえてくる音、あらゆる情報から、「なぜ?」や「どうやって?」といった、考えるきっかけは手に入る。それをいちいち考える。
こうした、日頃の思考の断片が、「いざ考えよう」という時の、思考の滑り出しを、大きく助ける。 言うなれば、思考のウォームアップだ。
日頃から運動している人は、とっさに体が動く。頭で考えて動かしているのではなく、体が反射的に動くからだ。
思考も同じ。だから、いつ何時でも脳が動くよう、脳の稼働状態を常に保っておくことが大切だ。

格言2

そもそも企画書を書くことも、プレゼンをすることも目的ではない。
追求すべきは、自分の考えや想いを的確に相手に伝えられること。そして、相手の心をしっかり動かすこと。
この一点のみである。
すなわち、企画書において唯一の正義とは、相手に伝わるかどうかである。
かつて私は、ある製薬企業の競合プレゼンで、80歳を超える会長の前でプレゼンする機会があった。車椅子で目も悪い会長のことを考え、他の役員とは別に、彼に配布する資料だけ、企画書のサイズを一回り大きく変更、紙質をめくりやすいものに変え、文字も大きくした。
プレゼン後、会長からこんな言葉をもらった。
「年寄り扱いされたのは不快だ(笑)。ただ、相手のことを慮り、そのために心を配るというのは、製薬と何ら変わらない。こういう人たちと仕事をするべきだ」と。
企画書は相手がいて、初めて成立する。フォーマットも、枚数も、デザインも、相手に伝わりやすいかどうかで考えればいい。
決まったルールなんてない。
ただただ、相手を想像しながら、丁寧に、丁寧に、紡いでいく。

格言3

課題を正しく認識するということは、言語化できるということ。
すなわち書けるということだ。
一度、書いてみたらいい。書けないことを通じて、自分の理解度がわかる。
言語化は、課題を整理するうえでも、それを人に伝えるうえでも、多くの人を巻き込むうえでも、核になる技術だ。
しかし、これをしない人が意外と多い。
頭の中で考えただけで終わる。
せいぜい、口頭で伝えて終わる。
絶対に文字にするべき、書くべきだ。
考えることと、話すこと、書くことは、別次元の行為だ。書けて初めて、その思考は自分のものになる。
実は、書くことの価値はもうひとつある。自分で書いたものを、自身の目で読みなおすと、不思議と気づきが得られるのだ。客観視できる状態にもっていけるというのは、思考を深めるうえで、これ以上ないほど大きな価値だ。書くことで思考は確実に研げる。
書いて、読んで、人に見せて、また書いて、また読んで、また人に見せて......。
絶対に、書くべきだ。

格言4

競合プレゼンの時、部下に言う。 「勝ちたいなら、容赦はすな」。 
「振り下ろすと決めた刀は、無慈悲に振り下ろせ」と。
そして「自分の勝ち」と同時に、徹底的に「相手の負け」を確認せよと。
ライバルの頭と胴体が離れた状態まで、しっかり目視した段階で、初めて相手の負けを認識。自分の勝ちは、それから確認すればいい。
こんな話をすると、「そこまでやりますか?」と言われる。
はい。そこまでやります。
勝たないと、舞台にさえ立たせてもらえませんから。
緊張感と覚悟が違う。「勝てればいいな」ではなく「勝たなくてはならない」。
故に、我々は競合プレゼンでこの8年、無敗なのだ。
「勝てるプレゼンの秘訣は?」「連勝のコツは?」など、 質問を受けることも少なくない。
秘訣もコツもない。
ただ本気で、勝ちにいっているかどうかだけだ。

格言5

仮に自分が成功していたとして、それを維持したいなら、挑み続けるしかありません。
何故なら仮に自分が動かなくとも、世の中は動き続けているからです。
「今を維持したい=何もしない」というのは、そもそも成立しません。それはゆるやか に世の中からずれていき、ゆっくりですが、着実に死んでゆく道だと思います。
そう考えると「後退」でさえ挑戦だと言えます。 そこに意思があって、判断をしているのであれば、意味はあります。
だから私は、挑戦しない停滞を、
意思のない現状維持を、嫌悪するのです。

完全版

(撮影:遠藤素子)