【尾原×楠木】なぜ現代は「好き嫌い」が大きな意味を持つのか

2017/10/24
生まれたころから何もかもが揃い、埋めるべき空白のない「乾けない世代」。そうした世代のモチベーションの源泉はどこにあるのかーー。このような問題意識のもと、NewsPicks Book『モチベーション革命』を執筆したIT批評家の尾原和啓氏が、各界の有識者と「現代のモチベーション論」について語り尽くす。1人目は、『「好き嫌い」と経営』で経営者のモチベーションを分析した楠木建氏が登場する。

世代による「OS」の違い

尾原 今回『モチベーション革命』という新著を出版しました。この本の中で私は、アメリカでミレニアル世代とされる20代から36歳が、「生きる価値観が違う」と話題になっていることに着目しています。
日本でも「ゆとり」や「さとり」と呼ばれ、「あいつらは新人類だから理解できない」と壁をつくられることが多い世代です。ところが、この世代こそ、変化が当たり前の現代における希望の世代ではないかと思っています。
とはいえ、「上の世代」を否定するつもりもありません。日本は戦争で焼け野原になりながら、短期間で復興して“東洋の奇跡”と言われたほどの国です。その急成長がなぜ成し遂げられたかと言えば、日本人の性格と「上の世代」の「OS」が一致していたからだと考えています。
楠木 「OS」というほど基底をなす特徴ということですね。
尾原 具体的には、昔はないものがたくさんありました。その、ないものをできるだけ早く、高品質で、安く埋めることが「上の世代」における勝ちパターンで、一心不乱にそれをやり続ければ成功できました。
一方、「今の世代」はないものがなくなってしまった。アフリカなどには今でもないものはたくさんありますが、少なくとも僕たちの半径500メートルは満ち足りています。
それに「上の世代」が落ちぶれるのを見てきたことで、「ないものを埋める」ことに絶望感すら抱いている。むしろ、成功の方程式でカネ持ちになってもカッコ悪いと感じる世代です。
楠木 モチベーションとはそもそも「自分のめざす状態なり水準と現状のギャップ」からくる相対的な概念です。「ないものがあった世代」と「ないものがない世代」では、モチベーションが違う。
尾原 本書の目的は2つあって、1つは「ないものがない世代」に「今の時代に合ったOSを持っている」と伝えたいということです。
36歳は課長になり始める頃で、社内では中間ポストである課長から下は「ないものがない世代」で、中間より上の部長や経営陣は「ないものがあった世代」で構成されるようになってきました。
ところが、部長や経営陣は下の世代を理解できず、課長以下は社内で認められない。そのため、「ないものがない世代」はモチベーションの低下が危惧されますが、彼らには自分たちの「OS」が現代に適合していると気付いてほしい。
楠木 なるほど。
尾原 2点目は、「ないものがあった世代」も間違っていないと伝えたいです。単に時代が変わっただけで、互いの世代が理解できればコラボもできると思いますから、「ないものがない世代」と一緒に働くための“トリセツ”みたいに広がればいいなと考えています。

「良し悪し」の極小化

楠木 人間はいつもそれぞれの時代に適合して生きている。時代の変化を鑑みれば、世代によって平均像が違うのは自然なことです。
「ないものがあった世代」の「OS」も、戦後から高度成長期を経て社会に適合していき、かなりの時間をかけてできあがったはずです。同じことが繰り返されて、現代に合った新たな「OS」が生まれているのだと思います。
尾原 各時代でどうやって儲けるかはもちろん、人間は社会的栄誉をどうやって得るかも重要になります。各時代の仕組みのなかで、この2つをどのように充足していくかで世代の平均像が形成されていきます。
楠木 そうですね。
僕の関心でいえば、仕事のモチベーションの源泉が「良し悪し」から「好き嫌い」に移っている。これにしても今は昔と比べて豊かになっていることが大きい。
尾原 生きることが大変だった頃は、「好きだ」「嫌いだ」と言っていられませんでしたから。
楠木 ところが社会が豊かになり、ついに「ないものがない世代」が現れた。
尾原 それによって、「良し悪し」という基準で仕事をしなくてよくなったわけです。
楠木 モチベーションの源泉として「好き嫌い」が前面に出てくるのも、自然な成り行きです。「好き嫌い」も結局は、個人という単位に局所化された「良し悪し」ですから。
「好き嫌い」も「良し悪し」も同じ価値基準なのですが、それが普遍的な価値として社会に定着している場合、「良し悪し」となる。どれほど時代や価値観が変わっても、人殺しは悪いわけで、「殺人が大スキ」というのは社会に受け入れられない。
ところが、話題が「天丼とカツ丼、どっちがおいしい」という個人レベルに局所的な話になると、「好き嫌い」になる。天丼でもカツ丼でも、好きなほうを選べばよい。他人にとやかく言われる筋合いはない。

持続的幸福の5要素と4つのP

尾原 世の中が豊かになったことに関連して、ポジティブ心理学のセリグマンが提唱した「ウェルビーイング理論」に持続的幸福を構成する5要素という考えがあります。
楠木 それぞれを教えてもらえますか。
尾原 1つ目は身体的な「快楽」で、きれいな女性と一緒になったり、おいしい食事をするなどが挙げられます。次が「達成」で、社会的な目標達成のほかに、スマホゲームの攻略もそれにあたります。
3つ目が良好な「人間関係」で、仲が良い人と時間を過ごすということ。4つ目は「意味合い」で、自分が生きていること、やったことが何かにつながるかどうか。
わかりやすく言えば、城の石垣を2人の職人がつくっていて、1人は幸せそうでもう1人は不幸せそうだとします。
不幸せそうな職人は、「毎日同じことばっかりで、死ぬまで完成するわけない」と考えている。一方で、幸せそうな職人は、「これで5代先まで街を平和にできる。こんなに尊い仕事ができてありがたい」と意味合いを持って働いていると。
最後は「没頭」で、フローに入る状態のことを指します。
この5つの要素に照らし合わせると、「ないものがあった世代」はないものがたくさんあったので「達成」が簡単に得られ、その上で「達成」と「快楽」が密接に関わっていました。
仕事で目標を達成したらいい女が抱ける、いいワインが飲める、いいところに住めると。2つの要素が紐づくことで、強烈なスパイラルを生んでいました。
ところが、現代の「ないものがない世代」からすると、「達成」してきた上の世代が没落したところを見ているからカッコ悪いと思っている。さらに「快楽」も底上げが起こり、ファミレスのワインでも十分おいしいと感じるので、「達成」と「快楽」が働かない。
楠木 「ないものがある世代」ならワインをなかなか飲めなかった。ファミレスのワインでも確かな「快楽」を感じられた。けれど、今はないものがなくなり豊かさが底上げされたことで、あからさまに大きな「快楽」を得るのはかえって難しい。
尾原 おっしゃる通りです。そこで、「好き嫌い」が大きな役割を果たすはずです。
「俺はこれが好きなんだ」と意味合いを持つことで、何もないところに差が生まれ、それにほかの人も共感して没頭していく。
楠木 「意味合い」「人間関係」「没頭」が生まれるわけですね。
尾原 それと、MITメディアラボが提唱する、創造的な学びに必要な「4つのP」という考えがあります。それは「プロジェクト(Projects)」「ピア(peer)」「パッション(Passion)」「プレイ(Play)」になります。
「俺はやるぞ」というプロジェクトと「一緒にやろうぜ」という仲間がいて、パッションを持ちながら遊びの要素もあると。
楠木 「ないものがない世代」は、その4つがそろわないとなかなか幸せに働けないということでしょうね。
(構成:小谷紘友、撮影:鈴木大喜、デザイン:九喜洋介)
*続きは明日掲載します