【Day11】全国70カ所を走破。最後に見せた小泉進次郎の「涙」

2017/10/22

最後は「スカジャン」で締め

B級グルメにはじまり、B級グルメで終わる。
そんな今回の全国行脚を象徴するような場面が、最終日前夜にあった。小泉進次郎はこの日も"深夜食堂"を訪ねたのだ。
20日23時過ぎに山形新幹線の赤湯駅に降り立つと、ラーメンでまちおこしをしている南陽市のポスターが目に入った。
「赤湯はなんども応援に来ているけど、名物のラーメンは食べたことがないんだよなあ」
夕食は、いつもどおり新幹線の車内で済ませた。フライドチキンを食べたから、空腹だったわけではない。
しかし、進次郎のことを駅まで迎えに来た山形の自民党関係者は「つぶやき」を聞き逃さなかった。午前零時まで空いているお店まで車を走らせてみた。
ラーメン好きには全国的に知られる有名店。すでに暖簾はしまわれていた。お店の者に聞いたら、「6杯分なら残っているよ」。
辛味噌ラーメンが連日の雨で冷えきった体をじんわりと温めた。
そして、翌朝、全国遊説最終日の演説は、やっぱりB級グルメの話から切り出した。
「昨夜、私の地元・神奈川県にある『新横浜ラーメン博物館』にも入っている有名な辛味噌ラーメンを夜中にいただいて、いまだに私のお腹の中には残っています。本当においしかった」
会場には、3年前に同じ場所で演説をした際に出会った6歳の男の子が最前列に立っていた。手には、進次郎とのツーショット写真を貼り付けた模造紙。「こいずみさん かんたです おおきくなったよ またきてね」と手書きで書かれている。
それを見つけた進次郎は、かんた君をステージに上げた。
子どもを演説会のステージに上げるのは、進次郎お得意のパフォーマンスである。「選挙権は18歳から、演説会は0歳から」としきりに唱える彼にとって、そこから見える政治の景色を目に焼きつかせることは、最高の政治教育だと考えているようだ。
公示後、進次郎が山形入りしたのは3度目になる。この日訪ねる山形2区は2度目、山形3区には3度目。一昨日にも進次郎は3区の酒田市で遊説を行っている。
これまでの全国行脚でも、選挙期間中に同じ地域に複数回入ることは数えるほどだった。だが、山形は別格だ。毎回のように進次郎が2度も3度も訪れる。
本人曰く、「それだけ苦労している地域ということだね。落とせないですよ。負けちゃいけないところだから、ね」
山形は90年代の新党ブーム以降、自民党を離党した鹿野道彦らが中心の民主党が保守票をしたたかに取り込んできた地域である。中選挙区から小選挙区に切り替わる際に公認争いで自民党が割れたことが背景にある。
そこに地域間の主導権争いが複雑に絡み、首長選が国会議員の代理戦争となることが少なくない。
2区の鈴木憲和の対抗馬である前職の近藤洋介は、自民党河本派の重鎮だった父を持つ。民進党の中でも保守系グループに属す。
昨年の参院選では山形選挙区(定数1)で選挙区内に住む参院元職を勝たせた。背景には、JAの政治団体・農政連が自民党に反旗を翻すという波乱があった。
3区の加藤鮎子の対抗馬、阿部寿一は酒田市長を4期務め、2012年の衆院選で無所属の立場ながら鮎子の父・紘一を引退に追い込んだ人物。
庄内地方では酒田と鶴岡の間で伝統的な主導権争いがある中、加藤は今回、阿部の拠点である酒田に乗り込み、市長を陣営に取り込んだ。だが、祖父の代からの「加藤王国」である鶴岡の市長選(15日投開票)では、現職を推したが、阿部系の新人に大勝を許してしまった。
山形における自民党の苦戦とは、すべて地方組織の内紛に端を発している。進次郎が応援に入る自民党前職が弱い地域には、必ずと言っていいほど熾烈な同士討ちの歴史が転がっている。
「小池(百合子・東京都知事)さんも、松井(一郎・大阪府知事)さんも、大村(秀章・愛知県知事)さんも、もともとは自民党だったんです。すべては自民党が蒔いた種なんです。自民党がしっかりしていれば、新党なんてなかったかもしれない」
進次郎が序盤の遊説先でしきりにそう叫んでいたように、この選挙戦を通じて対峙してきた本当の敵とは、野党でも、小池百合子でもなく、自民党のレガシーそのものだったのかもしれない。
仮に遠い未来に小泉進次郎政権が成立するならば、鈴木と加藤は重要閣僚に起用される可能性は高い。それだけに、進次郎にとって山形の2区と3区は絶対に負けられない選挙区なのだ。
「誰かが応援に来るのではなくて、全国の激戦区に応援に行ける政治家に育ててください」
午前中、山形で相棒2人にこのようなエールを送ると、進次郎は庄内空港に向かった。だが、羽田便の出発は「使用機材の到着遅れ」を理由に30分近く遅れた。
進次郎を乗せた機体が羽田に到着したのは14時20分。この時点で中野駅前の演説会は、開会からすでに30分近くが経っていた。
候補者には演説を長引かせるよう再三指示が出て、土砂降りの雨に打たれながら困惑している。進次郎目当ての聴衆たちは長い時間、雨に晒されてしびれを切らしている。
その場に居合わせたすべての人々の忍耐力が限界に達しようとしていた15時ちょうど、進次郎は全力疾走で会場に現れた。東京での最終決戦は20分遅れでスタートした。
「帰りに飛行機が遅れてしまい、本当に長い時間、すみませんでした」
東京では2時間で3カ所での演説が予定されていた。いずれも、小池百合子のおひざ元である東京10区から出た鈴木隼人を応援するために組まれたスケジュールだった。
進次郎は中野で短めに演説を終えると、街宣車の後方にあるステージに立ちながら道路上で手を振った。自民党関係者の間では「引っ張り」と呼ばれている、最も派手なパフォーマンスのひとつである。
進次郎は雨に濡れながらも、そのスタイルで練馬経由で最終目的地の池袋を目指した。土曜日の住宅街に突如現れた有名政治家を見つけると、通行人たちは次々とはしゃぎ出していた。
途中、小池の自宅近くも通り過ぎた。この選挙で最も挑発的な演出であるのにもかかわらず、進次郎はそれを淡々とこなしていた。
17時、池袋西口。目の前のビルには希望の党の大本営とも言うべき若狭勝事務所がある。小池の顔が大きく映るポスターが窓にたくさん貼られてある。
そんな場所で、進次郎は69カ所目となる最後の応援演説を行った。池袋にはじまり、池袋に終わる全国行脚のフィナーレである。
進次郎は第一声と同じく「感謝」をテーマに語った。
「この選挙は感謝にはじまり感謝に終えたいと思います。私は12日間の選挙戦、第一声を池袋ではじめ、希望の党の小池さんに感謝を言いました。今日、最後の演説は同じ池袋でもう一度、希望の党の小池さんに感謝を申し上げたいと思います」
進次郎がこう話している間、希望の党の事務所からはスマホを掲げる人影が見えた。
一方、進次郎はその後の演説の中で、二度と小池の名前を口にすることはなかった。やっぱりこの選挙戦で小池のことは眼中になかったのだ。
池袋からは、電車移動だった。17時43分の湘南新宿ラインで横浜方面に向かう。車内ではハンバーガーで栄養補給。保土ヶ谷駅で降り、車で横須賀に向かった。
19時30分。先ほどまでダークスーツだった進次郎は公示日と同じ、ど派手な緑のスカジャン姿で現れた。そして、70カ所目の演説がはじまった。
「この選挙は感謝ではじまり、感謝で終わる。横須賀ではじまり、横須賀で終わる。スカジャンではじまり、スカジャンで終わる」
そして、本題に入った。

10月21日の「小泉進次郎の言葉」

「今回の選挙で全国を回る中で、私は見つけるべきものを見つけて帰ってくることができたと思っています。
そのひとつは、よく自民党のことを国政政党、または国民政党という言葉がありますが、国民政党って何だろうと深く考える機会になりました。そしてそのことは、野党のみなさんにも感謝しなければいけないと思っています。
全国の地方を回って、秋田県に行った時にこういうことがありました。今回、希望の党ができて、小池さんが代表を務めて、訴えていることが『満員電車をゼロにする』ということでした。
秋田県の方にこう言われました。
『小泉さん、今回、希望の党の政権公約を見たけど、満員電車をゼロにするって、満員になっている電車を見たいぐらいだよ。こっちは人がいないんだから』
そして、私たちに対しても率直な声をいただきました。
『アベノミクス、アベノミクスと言っているけど、アベノミクスの実感がないどころか、この秋田にはバブルの実感もなかったよ』
私は、こういった率直な声を受け止めなければいけないと思っています。そして、そのおかげで、自民党は都会のことだけ見ていたら、国づくりを誤るなと思いました。地方のことだけ見ていても国づくりを誤るなと思いました。
だから、北海道から沖縄まで、今回全国を回る中で、『真の国民政党』とは、1億2000万人いたら、1億2000万通りの生き方があって、一人ひとりの価値観があって、一人ひとりの生き方がある。
大企業に勤める方もいれば、中小企業で働いている人もいる。農業やっている方、林業やっている方、漁業やっている方、専業主婦として家庭のことを支えているみなさん、そして共働きで子どもを育てながら働いているみなさん。
そういった一人ひとり、すべての言葉を、すべての思いを受け止めて、1億2000万人の思いを受け止めるのはそう簡単なことではありませんが、それでも多くのみなさんが『自民党には声が届く、自分たちのことをわかってくれている』。
そう思われる政党をつくることが、自民党がやるべき真の国民政党であり、それは都会のことだけを見ていてもダメ、地方のことだけを見ていてもダメ、全国をしっかり見ていくんだ。
そういう将来の自民党のあるべき姿、野党がだらしないから仕方なく応援するというあり方ではなくて、野党がどうであったって、応援したくなる自民党をつくること。
それが、これからやっていかなきゃならないことだと、みなさんが横須賀・三浦を守ってくれたおかげで、いろんな景色を、いろんな方々と言葉を交わす中で、そのことを見つけることができました。
みなさん、本当にありがとうございました。
そして、もうひとつは、『国会議員とは何か』ということを今回深いところで理解した気がします。私が3期8年、国会議員ができたのは、横須賀・三浦のみなさんが国会に送り届けてくれたおかげです。
だけど、この8年間、これだけ北海道から沖縄まで全国を回っていると、だんだん私の中で、全国が地元だという気持ちが湧いてきました。
すべての地域が他人事ではなくて、すべての地域でお会いする方、握手する方、演説を聞きに駆けつけてくれる方、そこで見る景色。そのすべてがまるで自分の地元のことのように思えてきて、そうなってくると日本全体を見る中で何をやるべきか。
世界の中の日本をどうするべきか。そういった視野を私の中につくってくれました。
私はそういった国会議員が全国から選ばれて自民党を形成して、一人ひとり送り届けていただいた地元のことを誰よりも思いながらも、汗をかくべきは日本全体のために汗をかく。
そういった一人ひとりの結集が自民党であり、ひいては、他の政党も含めて国会だというふうになることが、私は『真の国会議員』じゃないのか。そう思うようになったのです。
これだけ、8年間も全国を回る機会をつくってくれたみなさんのおかげです。
私はこの二つのことを全国で見つけてきました」(10月21日午後7時45分ごろ、神奈川県横須賀市)

二度目の「涙」

15分に及んだマイク納めの最後、ある後援者の家族が会場に来ているのを見つけると感極まったようだ。
「私の祖父の代から当時後援会の青年部として支えていただいた私の大支援者の飯田さんが、この選挙戦中にお亡くなりになりましたが、そのご家族の方が来てくれました。みなさん、本当にありがとう」
進次郎は口を固く締め、天を仰いだ。今回の選挙戦中に見せる2度目の涙である。一度は止んだはずの雨が、再び激しく降ってきた。
「その話をしていると泣きそうになるけど、もう空が泣いているからこれ以上、涙をこぼすのはやめましょう」
小泉進次郎、36歳の選挙戦は終わった。
演説会場を立ち去る間際、いつも通りテレビカメラに囲まれた。不眠不休の12日間についての感想を問われるとこう言ってサラリとかわした。
「常井さんに聞いてください」
筆者の戦いも終わった。
✳︎敬称略
(取材・構成・写真:常井健一、動画:石原弘之、編集:泉秀一、取材協力:講談社フライデー編集部・現代ビジネス編集部)